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恋人

 ここ最近ちゃんとしたエッセイが書けないでいたので、気合いを入れてパソコンを開いたら、充電がなくなっていた。慌てて充電器に差し込んでこの記事を書いている。

 私が文章をパタリと書かなくなったのは、一週間前にできた恋人の存在が大きい。元々、愛なんて愚かだと思っていて、好きな人と好きな時に遊べればそれでいいや派の人間だった私は、こんなにあっさり恋人ができるなんて思ってもいなかった。
 恋人になった経緯は公にするものでもないので割愛するが、彼と出会って一週間、恋人になってからも一週間である。いわゆるフィーリングで付き合った、というやつだ。この人とは恋人になりたい、そうなぜか強く思ったのである。

 メンタルがぐちゃぐちゃになった時、布団にくるまり嗚咽しながらキーボードを打つことで、私の青く尖った文章は生成される。崩れたメンタルで書いた文章は評価され、共感を呼ぶ。私は世の中で生きづらく考え込む人のために文章を書いていた。私の孤独が誰かの栄養になればいい、どうせ一生孤独だし、などと悲観的に考えて。
 それなのに、今は彼が壊れた心臓のかけらを一緒に拾い集めて組み立ててくれている。2人で何度も悩みながら、ジグソーパズルのように。やっと完成した時に、優しく、力強く抱きしめてくれて、初めて人間が恋をする理由がわかった気がした。人間が本能的に恋愛をするのはただの性欲とか子孫繁栄とかそういうことではないことを、私の前髪を優しく分けて目を合わせる彼の瞳をのぞいた時に悟った。
 その感情は、好きとか、愛とか、触れたいとかが入り混じったものに加えて、深く「守りたい」と思った。あんなに死についての記事を書いていた中恐縮だが、私は今生きたいと思っている。彼のためとかではない。私が傷つくことで、いなくなることで、傷つくかもしれない彼のことを、ずっと守りたいと思ったから。彼が傷つくことで傷つく私のことを、守りたいと思ったから。彼が抱えるナニかごと抱きしめるつもりで、彼の背中に腕を回す。

 世界に1人じゃないと知った。人間の優しさを知った。人に愛されるということは怖いことではないことも。あんなに響かなかった西野カナの音楽に共感するようになった。
 好きだと微笑む彼を見るたびに泣きそうになるし、未だ素直な感情表現は苦手だ。次の日のことですら不安になるし、自分や相手の気持ちを深読みしすぎることもある。

 でも、今後どうなるかとかは一度置いておいて、悲観的な文章を書く前に、とりあえず次のデートにどこにいくかを決めたいと、思っている。

 

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