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学生お笑いを見ると決めた日

 きっかけは友人がお笑いサークルに入ったという話だった。元々お笑いが好きなのもあったし、その友人が舞台に立っているところを見たいという思いから、気づけば下北沢の小さな劇場の下手側3列目に座っていた。

 正直、ずっとプロのお笑いを応援したり生で見てきたから、そんなに期待はしてなかった。本当にただ、友人の姿が見たいというだけで行った。しかし、私はそこで「面白さ」では包括できない大きな感情に飲まれそうになった。

 少し、私の過去の話をしたい。私には友達がいなかった。いや、訂正すると「学校に友達がいなかった」という方が正解かもしれない。大切な友達はいつも保育園や小学校の同級生で、普通青春を共にするはずの中高の同級生で、私が「友達」と呼べる人も、私を「友達」と呼ぶ人もいなかった。
 厳しい受験戦争を勝ち抜いて入った中高一貫校も、成績良好、側から見たら「頑張ってる」生徒だった私は、高1で自主退学し通信制に編入した。私の周囲の人間は、私が「頑張ってる」ことを馬鹿らしいと感じたらしい。悪いことをして、阿保みたいな真似をして、先生に歯向かい、でもそんな先生も最後はそんな生徒を愛している。私はどれだけ「頑張って」も報われない生徒だった。青春なんて薄っぺらいものだと身をもって感じてしまったし、「友達」なんて信じないと固く誓った6年間の学生生活だった。学校にはどんどん通えなくなり、どうせ学校に来ないからという理由から席は1番後ろになった。体育祭も文化祭も私がいない間に集合写真を撮り終わり、お揃いで作った団扇は私がいない間に私以外で写真を撮り終え、私が委員会の仕事を終えて教室に戻ると、皆が帰って誰もいない教室に「AYA」という文字の入った団扇が、1番後ろの廊下から3番目の席に置かれていた。
 通信制に転校した後も、別に馴染もうとしてたわけでもないが、馴染めなかった。先生は手がかかる声の大きいお金持ちの子供ばかり相手にして、レポートを毎月きちんとこなしオール5で卒業した私には「心配してない」の一言で片付けた。唯一の目玉活動である課外活動は、中3の時に発症した精神疾患が原因でドクターストップを受け行けなかった。学校のインスタグラムには楽しそうな同級生の姿が上がっていた。私は家で課外活動欠席者向けのレポートをしていた。もちろん、期日より1ヶ月早く終わらせた。
 劣等感の渦中で精神は普通に保てず、結果受験は失敗して浪人した。人生なんて、と思うことが多くなった。死にたいとは思わなくなったけど、生きたいとも思わなくなった。
 当然リアルに友達なんて呼べる人は片手に収まる程度、いや、それで良いという人もいるんだろうけれど。ほとんどが他校だったり、遠方だったり、先輩だったり、とにかく同じ活動を共にすることはない人たちだった。他人よりも人と関わることが好きで、人と話すのが好きで、人に話すのが好きで、人が大好きな人間が、中高の長いようで短い6年間で完全なる人間不信になった。「友達」「仲間」という言葉を使うのが怖くなり、「『ずっと』仲良しでいようね」なんて言葉は信じられなくなり、永遠なんてないのになぜ好き合うのかよくわからない、みたいな次元までいってしまった。

 だからお笑いが好きだった。何も考えずに笑えて、そこでできた友達は素直に私の頑張りを評価してくれて、居場所があるということに感動したのだ。生のお笑いも配信のお笑いもたくさん見たし、たくさん笑った。何にも考える暇がないくらい笑えるお笑いが好きだった。

 そして、初めて行った学生お笑いのライブで、私はなぜか涙が出そうになっていた。感動とか、面白すぎてとか、いやもちろんそれはそうなんだけど。なんかこう、言葉で表せないんだけど、

羨ましい、

って思った。

 過去の私は、やりたいことを真面目にどれだけ頑張っても評価されなくて、悔しくて、諦めた。
でも、目の前にいる同世代の学生さんは、どれだけ緊張してても、たとえミスがあっても、ネタを飛ばしても、諦めなくて、立ち向かっていって、それが笑いという結果につながっていて。

 とんでもなく羨ましくなって泣きそうになった。照明に当たっている学生さんたちがとんでもなく眩しく見えて。

 今の私にはそうやって頑張れることがなくて、周りの目が怖くて、報われないのが怖くて頑張れなくて。だから、自分を重ねてしまうのは本当に良くないのだけれど、同世代の学生芸人さんを本当に心から応援したくなってしまった。学生さんがネタをして、それを見た観客が笑う。この空間だけで私は救われている。彼らが「頑張った」ことが劇場という小さな空間であっても少しでも報われているという事実だけで、私は嬉しかった。まるで、私がやれなかったことを成し遂げてくれているようだった。私が今までやりたかったことを、全員がやってくれているようだった。私が見れなかった景色を、見せてくれているようだった。
 ライブが終わると、涙が出そうになるのを必死に堪えて友達に会った。一緒にカレーを食べながらお笑いの話をした。楽しかった、というと嬉しそうに笑ってくれた。彼女の「頑張った」ことが今の発言で少しでも報われたら良いなと思った。美味しそうにカレーを食べる彼女を見ていたらまた涙が出そうだったので、ドリンクバーに向かった。

 学生お笑いを見ようと決めたのはこの日だった。私が怖くてできないことを、彼らは、彼女らは、見せてくれる。体を張って見せてくれる。私が、怖くなくなるまで。また人前で話すことが、積極的に頑張ることが、人を信じることが、できるようになるまで。寄りかかって生きたいと思った。

 今日もカフェで参考書を開く。友達なのか知り合いなのか他人なのか未だに判別がつく人がいないのに、誰かから連絡来ないかな、なんて思いながら時々スマホをいじってしまう。学生ライブが発表されていて、いいねを押して、スケジュールに記入する。

 よし、とドリンクを一口飲んで、シャーペンを取った。

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