某東京♯2
浪人した人間はある程度大学への夢と理想が薄れるという噂はその通りだった。自己推薦で進学が決まるまでの間に華の大学デビューを遂げた同級生は、課題やレポートや単位に追われ、その現実から目を背けるために酒やタバコやカルチャーに溺れまくり、ドロドロとしたモノの中でヘラヘラとしている人間と、はなからそんな現実わかりきっていたのでうまくこなしていく人間に二分化された。後者の方が後々生きやすく、そして楽しく過ごせることは、浪人期間中に自分の中で再確認されていった。
自己推薦の結果発表は9月である。「#春から〇〇」というハッシュタグが出始めたのもこの頃だった。私はただでさえ友達が少ないことを明らかに負い目に感じていたので、割と早い段階で同じ大学の人とSNS上で話すようになった。驚いたのは、そのハッシュタグで繋がった人のほとんどが、地方から東京に越してくる「上京組」だったことである。東京育ちの私にとって、彼らとの会話は新鮮であった。
彼らは東京に夢を持ち、希望を持ち、東京で変わろうとしている。そんな沸々とした青い炎を、私は感じていた。東京は確かになんでもある。東京にないものはおそらく田舎にもないだろうし、東京にないけど便利なツールなんてものは存在しないだろう、と思う。交通の便だっていい。多いところだと3分待てば電車が来る。思えばすごい街である。
彼らは自分の住む街を、「田舎」「辺境」「限界集落」と貶し、「東京に出たら」という文頭の内容の話をよくする。確かに、少しでも郊外に出れば都心なんてドラえもんの未来都市のように見えるかもしれない。まだ東京に出てもいないのに、東京の話ばかりをして、夢を膨らませる青少年達。そんな彼らを見て、都心で育った私は幾らかの不安を覚えた。
私の帰る場所は、「東京」である。東京に父母がいて、東京に家があり、通っていた学校があって、顔見知りのコンビニ店員がいて、よく行くご飯屋さんがある。彼らに思って欲しい。彼らにとって東京はまだただの「居住地」にすぎないこと。本当の帰る場所を貶してまで崇め奉る場所ではないこと。
東京に来て覚えることは多いだろう。人間関係だけじゃなく、酒もタバコも、恋も愛も、東京で知るのかもしれない。でも、本当に帰る場所だけは大事にしておいて欲しかった。どれだけ東京に憧れを抱こうが構わないが、本当に自分をわかっている人がいる場所を、失わないように。
東京は便利ツールではない。東京に来たから人間としてのステータスが上がるわけでもない。東京に居住地が移るだけで、東京はただの都道府県のひとつに過ぎないこと。ギラリとした光の中に入って仕舞えば、何ひとつ変わらない人間の難しさが待ち受けていること。そんな辛さにぶつかった時に、帰る場所を思い出せる状況にしておいて欲しいということ。
東京の終電だって、意外と早かったりする。