「何か悩んでることはない?」
そう言ってくる人がとても苦手だ。本当に、苦手だ。
嫌悪感を示すことのできる場所はなかなか少ない。肯定したり、好きを示したりするのと同じか、もしかしたら以上に、それができる場所は貴重だと思う。だから今日は、私の苦手なことについて書きたい。
人から好奇心を向けられることが少し苦手だ。お越し下さい、とお誘いしていないのに、土足で私の内面に踏み込んでこようとする人が苦手だ。
「何か悩んでることはない?」と聞かれたことが数回ある。はっきりと覚えている場面は3回。それぞれ別の場所で、別の人から聞かれた。
私は、心を開いた信用できる数人に、すぐ頼ってしまうところがある。でも、その他の人には、自分の話をすること自体あんまり得意ではない。
幸せな話をしたとして、もし相手がそのカテゴリーでダメージを受けたばかりだったら、素直に受け止めることは難しいと思う。(その逆の立場だったら、少なからず辛い気持ちになるかもしれない。)
とっても不幸な話をして、見下されてしまうのも幸せではない。自分という人間自体を理解してもらえているわけではない相手に、物事の一部始終を聞いてもらった程度で、的外れな共感やアドバイスをもらっても、心から感謝できる自信がない。
みんなが程よく笑えて、でも自分を卑下してるようではなくて、親しくなれる話題を選ぶことは、難しい。私からしたら、相手の話を聞いている方が3億倍ラクチンだと思う。(でもそれが100:0の割合でこちらが聞くだけで終わるばかりだと、相手は気持ち良くなって何度も誘ってくれるようになるけど、こちらはもう時間を割きたい相手ではなくなってしまう。難しい。)
「何か悩んでることはない?」を私に聞いてくれたのは、心の内をあまり曝け出すことができていない相手からだった。下心も好意も、三者三様の濃度だったけど、それなりに真心がこもっていたのかもしれない。でも全員、困ったときに頼りたいと思える相手ではなかった。
「何か悩んでることはない?」は、それ自体私にとって気持ち悪いのだ。悩みをあなたに聞いて欲しいと思っていないし、そもそも悩みがあるとも言ってない。あなたからアドバイスが欲しいわけじゃないし、励まして欲しいわけじゃない。あなたにもっと私のことを知って欲しいと思う時がもしあっても、それは私が何について悩んでいるか、についてではない。
でも私は優しくないから、『それを言うのはやめたほうがいいよ。』とは言ってあげない。大体スルーして他の話を続けるか、いまは気分じゃないかなあ、とか、楽しい話がしたいなあ、などと交わしてしまう。
「何か悩んでることはない?」を誰かに言うのは、やめた方がいいと思う。私は言わない。
もし何か暗い顔をしている人が近くにいて、その人と親しかろうが親しくなかろうが、その人のことを好きだという真心があるなら、『なんかあったときはいつでも聞くね』もしくは『何か美味しいものを食べに行こうよ』くらいがいいのではないか。
そこまでの間柄じゃなければこんなのはどうだろうか。『最近ね、こんなものにハマってるんだ』『最近、こんな面白いことがあったんだ』
『何かをしてあげる優しさ・言ってあげる優しさ』よりも『何かをしない優しさ・何かを言わない優しさ』の方が高度で、相手への理解を必要とすると思う。
「何か悩んでることはない?」だけではない。『相手が望んでいない間合いに入らないこと』は、思いやりの一種だと思う。
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