ルッキズムと登山
外見至上主義。
そんな事、わざわざ言わなくとも昔から根強くあるものだ。それをこんなに警鐘を鳴らしまくっているのだから、沢山の人に弊害が出ているんだろう。
私にも思春期があった。
体型や顔立ち、髪型やファッション。
人並みには及ばずながら、アイプチをしてみたこともある。
人間の顔は左右対称にできていないから、そのことが異様に気になった。目の形が左右で違っていたから。トランペットを吹いていた頃は、唇が厚ぼったくなったのが嫌でたまらなかった。脚が筋肉質で、可愛い靴下やスカートが全く似合わないのも。髪がごわごわ剛毛でものすごく多く、サラサラストレートとは程遠いことも。
あの子みたいだったら、と願ったのは一度や二度ではない。アイドルのグラビアを見て「何もかも違う」と遺伝子を呪ったこともある。
自他ともに認めるおばちゃんとなって、私はあらゆる事がどうでもよくなった。
そもそも鏡を見なければいい。
自分は自分にしかなれないのだから、全く違う遺伝子を持つ他人と比べるのはナンセンスだ。
比べる(戦う)としたら、過去や未来の自分自身とだと思うようになった。
確かに、一見して美人は得だ。
でも手にしたメリット以上のデメリットも付いてくることがある。
この辺は完全に人によるし、運ゲーとしか言いようのないこともある。
しかし、それらは外見至上主義というフィールドで殴り合いをしている者には目に入らない。
これはもう呪いだと思う。
年齢や外見、様々なステータス。
この世にはたくさんの呪いが溢れている。
それらにいかに捕まらないよう、しなやかに生きていけるか。
我々は、実はそういうゲームをしているのではないか?
と、最近思うようになった。
嫉妬という弾丸を撃ち合う、
マウンティング山開催サバイバルゲーム。
参加したら負け。土俵に上がっただけでゲームオーバーの、デスゲーム。
死屍累々のしかばねたちは、一番になるまで報われない。救われない。
せっかく生まれてきたのに、そんなのって悲しすぎやしませんか。
向上心のないものは馬鹿だという言葉もあるけれど、登らなくていい山だってある。
自分が登る山は、自分で決めろ。
山頂に何を求めるかはあなた次第。
そういう登山を、私たちはしている。
終