『なかなか死ねない』と口にする高齢者~思い返す出来事と理論~
#家族は親の口から聞きたくない言葉
#発する本人にとっては 、身体の自由が利かないもどかしさ
#誰かに手を貸してもらわないと貸してもらわないと成しえないことだらけ
#ミルトン・メイヤロフのケアリング論
#専心
『なかなか死ねない』の言葉
高齢者が発する意味あい
ある日、80歳代の女性が高齢者住宅に入所した。
娘さんとともに、入居する住宅で荷物を整理しているところに、
お話を伺いに訪室した私に、
『なかなか死ねない』ものです。
と、数回言った。
これまでに何度も、高齢者が入院したときに、
『みんなのお世話になって、申し訳ない。いつお迎えが来てもいいのに、なかなか来ないものだ。』
という言葉を耳にしている。
①体が効かなくなるもどかしさ
②誰かに助けてもらわないと、これまできたことが、できい
③このもどかしさを共感してもらいたいけれど、助けてもらうのは自分よりも若く、身の効く人
④やってもらうのも気が引ける
⑤やってと言う言葉を口にすることが辛い
世話になることと、申し訳なさの中に、口にしないとわかってもらえないというニュアンスを感じる。
高齢者の心の中に、細かいことを言葉にせずとも、さりげなく察知して、やってやると言う心持ちを感じさせずに、行動に移してほしい。
つまり、以心伝心できたら、悩まないのにという心持を察する。
現実的には、言葉にせずとも、言葉を持たずとも、
赤ちゃんと母親関係は、信頼関係とともに、察知することで親子関係は成立している。
『優しさ』を示すが、ニュアンスが気になるとき
私の中にも、この気持ちが、わずかばかりわかる気がする出来事がある。
普段は、自分で運転をするから、移動に誰かの力を借りる必要がない。
ところが、車を使えず、駅までの道のりを移動しなければならない場合がある。
車ならたったの5分。
歩くと20分。
この選択に車がつかえないならば、徒歩20分の道のりを自分でとぼとぼ歩く。時間をかけるしかない。
でも、車なら5分。
家族に「車で送って」
とわざわざお願いするのもきがひける。
優しさを込めて、
『送っていってあげるよ』
と、いってくれる言葉に何とも素直になれない時がある。
なになにしてあげる。
あげる。には、わざわざやると言う意味あいを感じてしまう。
私なら、
暇にしてるから、送っていくよ。
通り道だし、一人も二人も一緒~。
なんて、言ったりする。
『あげる』といった相手の、
送ってくれいる時の表情。
その表情を気にかけてしまうときがある。
相手の心は、言葉と合致しているのか。
めんどくさそうな顔を見ると、親切な行動の裏を見てしまったような気になってしまう。
誰かに、何かを頼まなければ、無しえない状況や自分を、
相手の時間を結局奪っている気になり、卑屈な感情が心を覆いつくす。
顧みての親と自分
自分の母親に対して、かける言葉や、家族に何気なくかける言葉。
少なくとも、わざわざやってる感を出さないで、気持ちよく相手に対して、さりげなく時間を使うようにしたいと思った。
心から思いやる我が身であるならば、
誠心誠意、今一緒にあなたと一緒にいる時間を大切に思っている姿勢を示したい。
『専心』
ミルトン・メイヤロフのケアリング論を日々の実践に応用し、行動する自分であるかを顧みている。
何気なく行うのではなく、そこにはどの概念を用いて行動しているかが、問われていることを思い返した一日だった。
2022.1.23(月)
MILK