クラリネットマスタークラス inセルビア
8月27日から31日まで、セルビアのコパオニクで行われたミュージックアカデミーについて書いていこうと思います。
イリヤンの他に、二人のクラリネット奏者を合わせた3人の教授と、その生徒たち15名ほどが参加しました。
コパオニクは夏は避暑地、冬はスキーができるリゾート地として有名です。
標高1500メートルの山の上にあるリゾートホテルがアカデミーの開催場所でした。
マスタークラス形式のアカデミーで、受講スケジュールや、どの先生のレッスンを受けるかは、生徒さんたちの日々の様子を見ながら、先生たちが前日に決めていました。
基本的には、いつも教わっている先生以外のレッスンを受けられるようなスケジュールが組まれていて、日本から参加した誠也くんもイリヤン以外の二人の先生のレッスンを受けていました。
イリヤンのマスタークラス
イリヤンのマスタークラスはほとんどの場合がクラリネット奏法のメカニズム、そのための体の使い方、呼吸まで、基礎から教えることが多いです。
プロの音楽家に指導する場合も、曲のなかで基礎を教えるということに変わりはありません。
どれだけ成熟した音楽家であっても、むしろ、ある程度のレベルで演奏できている音楽家であればあるほど、さらにそこから次のステージへ進んでいくことは難しくなります。ある一定のレベルに到達すると、そこから伸び悩み、それだけならまだしも、悪化していく、という人が多いのが実情です。
とあるクラリネットの巨匠がイリヤンにこんなことを言っていたそうです。
本当にそうなんですよね。ある程度のレベルから成長していけないのは、サウンドが変わらない、ということが理由にあります。
多くのクラリネット奏者は、マウスピースやリガチャー、リードを取っ替え引っ替えして、手っ取り早くサウンドを良くしようとします。けれども、部品を変えたところで、一時的な満足感は得られても、すぐに物足らなくなってしまいます。
ではなぜサウンドが良くなっていかないのか、それは、演奏のメカニズムを知らないから、基礎技術に問題があるから、今までの誤った習慣によって体が機能しなくなっているから、さまざまなことが考えられます。
つまり、基礎に還る必要があるということです。その先行き止まりですよ!というところまで誤った経路を歩んできてしまっているわけですから、もう一度スタート地点まで戻って、新たな経路で歩み直す、ということをしなくてはいけません。
つまり、一旦振り出しに戻るということです。どうしても変わりたい、ここから成長したい、と思うのであれば、やらなくてはいけないことは、前進ではなく、後退なんです。振り出しに戻る勇気を持つことは、年齢を重ねれば重ねるほどに難しくなっていきます。
今まで積み上げてきたことをなかったことにする。リセットする、ということは、自分の人生を一度否定するようなことでもあります。一度死んで生まれ変わるようなことです。だから多くの人は変わらない、という選択をするのだと思います。
ここで変わる選択をするかしないかはあくまで生徒さんの判断です。
けれどもイリヤンは、せっかく縁あって出会ったんだから、『今まで聞いたことないような、なんか気になることを言ってた人がいたな。』と生徒さんの記憶に残るといいな。今じゃないかもしれないけれど、いつか気づきが起こるきっかけになればいいな。そんな思いで一人一人の生徒さんたちと真剣に向き合っていました。
よくあるマスタークラス
ほとんどの場合が、マスタークラスで基礎から教わる、ということはないと思います。
『ここはもっと軽く、ここはもっと力強く、ここはこんなイメージで、もっとフォルテ、もっとピアノ・・・。』こんな感じで、受講生が準備した曲を先生に見てもらう、という場合がほとんどです。
多少技術的なアドバイスはあっても、大体が、曲の表現に関わることや、曲を解釈するために必要な知識を教わる、そんなところだと思います。
けれども、マスタークラスというのは本来、基礎技術があって初めて有意義なものにすることができるのです。
サウンドを生み出す術を知らない。体のあちこちに力みがある。心地よく演奏することができない。つまり演奏のメカニズムを理解していない状態で、どれだけ素晴らしい先生たちに学んでも、使えない知識で終わってしまう、ということです。
逆に言うと、基礎技術さえあれば、音楽を表現することはもっとシンプルなことになります。音楽を複雑にさせているのは、技術不足を補うため、表現しなくては、と余計な力が入っているからです。
基礎は初心者のためだけのものではありません!
音楽家ならば、日々基礎に還って、包丁を研ぐように基礎を磨き続ける、という姿勢が大切です。基礎は音楽の全て、と言い切っても良いほどに、基礎がなければ何も始まらない、くらい大事なことです。
もし、巨匠と呼ばれるような偉大な音楽家のマスタークラスを受けられるチャンスがあるのであれば、基礎を磨き、演奏技術になんの不安もないくらいまでに準備をして臨まなければ、受講する意味はないと思います。
クラリネット病
受講生は各自ホテルの部屋で練習することが許可されていました。そうすると全ての部屋から決まって聞こえてくるんです。B♭(変ロ長調)の高速スケールが!
オーケストラのコンサートに行くと、休憩中にクラリネット奏者が高速スケールを吹いているのを聴いたことのある人もいると思います。
楽器を持つと、自動的にスケールを吹いてしまうマシーンのようになっている人が多くいます。体が勝手に動いてしまうようです。クセになってるんですよね。
マスタークラスでも、レッスンが始まる直前に、ほとんどの生徒さんがB♭(変ロ長調)の高速スケールを当たり前のように準備運動として吹いていました。イリヤンが『そのスケールは何のために吹いてるの?』と尋ねると、みんななぜ吹いてしまうのか自分たちでもよくわかっていない様子でした。
それはウォームアップではなくて、体を硬直させたり、呼吸を浅くしたりするものでしかないんだよ、とイリヤンが言うと、みんな驚いていました。ほとんどの生徒さんは、体を使う、体が機能する、ということを意識したこともないようでした。
また『こうすればできるようになる!』といった一瞬で問題が解決するような、魔法のような『やり方』を求めている人も多くいます。そういう人は結果を急ぐし、じっくり聞けない、待てない、どこか焦ったような雰囲気があります。体も硬直していて、自然に機能していません。
イリヤンからしたら、どこから手をつければ良いのやら・・・、というくらい悩ましい状況でした。今のままで曲をやったところで何も変わらない。音楽の話をする段階ではない。それくらい固まってしまっている人が多くいました。
私が『何でみんなこんなに固いの?』と尋ねると、イリヤンは『そうやって教わってきてるからだよ。』と。
指導者の方も、結果を急いでいる、ということです。他の先生たちの指導を見ていると、『こうしてみたら?それでうまくいかなかったら別のこのやり方でやってみたら?』と矢継ぎ早にアドバイスが飛んでいました。生徒さんに直接的に働きかけているのです。生徒さんは明らかに混乱しています。
直接的に外から働きかけると生徒さんはどんどん固まっていってしまいます。そして、動きに制限がかかって不自然な人になってしまいます。
一方イリアンは、生徒さん自身が自らの力でできるようになるように、間接的に導く、ということを大事にしています。
生徒さんが自立して、自分の意思で演奏ができるようになるためには、生徒さんの内側に働きかけていく必要があります。自分で気づいていかなければ変わってはいけないんですよね。楽器をどう使うかではなく、まずは自分自身をどう使うか、が大事だということです。
アカデミー最終日に近づいて、イリヤンがほぼ全員を教え終わる頃には、ホテルの部屋からB♭(変ロ長調)の高速スケールが聞こえてくることは無くなっていました。笑
生徒さんの言葉
受講生の一人がイリヤンにこんなことを言ったそうです。
『先生は僕にプラネットじゃなくてユニバースを見せてくれた。』
彼の言葉は意味深いな、と思いました。
彼は、「外側には自分の知らない世界が広がっているんだ」と感じられたことが嬉しかったんだと思うんですよね。今まで、なんとなく生きづらさや心地悪さを感じながらも、居場所を見つけようとしていたのかもしれません。そんなとき、知らなかった世界に触れて、希望を見出すことができたのかもしれません。
変わっていける人は、知らない世界を見に行ける人です。
そして良い先生とは、表しか存在しないと思っていたコインに、裏側が存在するんだよ!ということを教えてくれる人です。
変わっていくことは、新たな自分の可能性に気づいていく、ということでもあります。生徒さんの言葉に、私も勇気づけられた気がしました。変わっていくために必要なのは、好奇心と勇気ですね!
先生たち同士とても仲が良く、アカデミーの雰囲気もとても和やかでした。
イリヤン以外の二人は幼馴染です。音楽大学で教えています。
二人ともイリヤンの指導に感心しながら、刺激を受けているようでした。
アカデミー受講者たちは、みんなピュアで本当にいい子たちばかりでした。自分さえ良ければ良い、自分だけ得をしてやろう、というズル賢さみたいなものは一切感じられず、競争や嫉妬などもなく、みんながお互いを仲間として受け入れているようでした。
こういう良い雰囲気のアカデミーを作り上げられるのも、先生たちの関係性に依るところが大きいんだろうな、と思いました。
来年もセルビアでアカデミー開催予定です。
興味のある方はこちらからお問い合わせくださいね!→☆
今日はこの辺りで。
最後まで読んでくださってありがとうございます。