隠されるべきもの
昨今はYouTubeなどの無料コンテンツで、誰でも手軽に音楽を学ぶことができるようになりました。
そんな中、少しでも他の指導者たちとの差別化を図ろうと、競い合うように知識を披露する人がいます。
他人にアドバイスをしたくてたまらないお節介な人たちもたくさんいます。
うんちくを並べて、「私はこんなことも知っているんだ」と知識をひけらかして、自分を大きく見せようとする指導者たちもいます。
今回は、そんな見せびらかしたい人たちが蔓延っている一方で、隠されているものもあるんだよ、というお話です。
先日、イリヤンの指導を受けた某クラリネット奏者が、イリヤンにこんなことを言っていました。
"You didn't tell me everything. "
『あなたは僕に全てのことを言ってないよね。』
そのクラリネット奏者は、音楽大学で指導もしているプロの音楽家です。
彼はイリヤンの演奏を聞いて連絡をしてきたそうです。
"なぜあんなサウンドが生み出せるのか。なぜあんな表現ができるのか。この人は何かが違う。きっと何か特別なことを知っているに違いない。"
その秘技を知りたくて連絡をしてくる音楽家たちは、彼以外にも多くいます。
ところがその多くが、イリヤンのレッスンを受けると「物足りない。思っていたのと違う。」といった感じで後味悪そうにします。
それだけでなく、「なんだ大したことないな。」とイリヤンを低く見定める人もいます。
イリヤンは、彼らが不服に思っていることをわかった上で、それでも全然気にしていません。
そしてこう思っています。
『なぜ僕が長年かけて培ってきたトップシークレットを、それを受け取る資格もないような人たちに易々と教えなくてはいけないんだ。』と。
イリヤンがそう思うのも当然のことだと思います。
彼らはすぐに変われるような魔法の言葉を期待しています。
けれども、イリヤンが彼らにまず教えられることは「基礎」でしかありません。
それがプロの音楽家であっても同じことです。プロだからといって基礎がしっかりしているとは限りません。
基本的なこともできないうちから「秘技」を仕入れたとしても、その本質を理解することも、それを正しく使うこともできません。
自分が長年かけて培ってきた「秘技」がぞんざいに扱われてしまったり、薄められた情報で多くの人に伝わってしまうことは本意ではありません。
それらがイリヤン以外の「誰かの秘技」のように扱われてしまうことは、もっと避けたいことです。
だからこそ、イリヤンは人にどう思われようとも、その真意を正しく伝えることに信念を持っています。
そのためには、ある程度隠されるべきこと、というのがあるのだと思います。
けれどもだからと言って、イリヤンがその秘技をひた隠しにしているかというと、そうでもありません。
イリヤンは人を見て、そしてタイミングを見て、その秘技をこっそりと伝授することもあります。
そういうレッスンに立ち会うと、「ラッキー!」と思います。笑 超お高いレッスンです。
イリヤンの隣にいる私でさえ、彼の知識の広さ、深さには、いつも驚かされています。
実際に、世界トップクラスの2〜3%の人しか知らないであろうことというのは存在します。
イリヤンに長年に渡って学び続けている生徒さんでさえも、彼がまだまだ教えていないことは山のようにあると思います。
ではどうしたら、そのトップシークレットを知ることができるのでしょうか?
それは、自分に実力をつけていくことです。基礎を積み上げていくことです。
そのプロセスとは、「なんだそんなこと?」と思うような、魔法とは程遠いほどに地道なことです。
時間もかかります。苦労も伴います。
けれども、この時間を正しく積み重ねた人だけしか出会えないのが、トップシークレットなのです。
簡単には手に入らないからこそ、それは価値のあるものです。
価値のある知識に出会っていくためには、自分が成長する以外に道はありません。
技術を伴う芸術というのは、本来、囲われた中で成熟していくものです。
そしてそれは、人から人へと静かに受け継がれていくものでもあります。
音楽大学のような場所で、大人数で一斉に学ぶようなことではないのです。
自分が認められたいという人々の欲求によって、価値ある知識が利用されることはよくあります。
自分も何気なく同じようなことをしてしまう可能性だってあります。
だからこそ覚えておきたいことは、価値ある知識とはその人が人生をかけて手に入れたものだということです。
大事なことは、感謝と敬意を持ってその知識を大切に扱うことです。
それが、それを教えてくれた先生に対する敬意や、自分を大事にすることにも繋がっていくからです。
最後まで読んでくださってありがとうございます。