「正直な音楽」とその反対側の世界。
こうでなければいけない。
こうしなければいけない。
先日、とある有名オペラ歌手がレッスンをしている動画をYoutubeで見かけました。少し見てから、途中で見るのをやめました。なんだか重〜い気分になってしまったんですよね。
その理由が、彼女のレッスンから、「こうでなければいけない。」これを強烈に感じてしまったからです。こうあるべきを押し付けて、生徒をコントロールしているようにも見えました。上からジャッジしているだけで、とても教えてるような感じはありませんでした。
そして、『あ〜、こういうレッスンってよくあるな。』とも思いました。
レッスンでは、 「自分をどう見せるか」ということばかりが強調されていて、肝心の音楽のことには全く触れられていませんでした。先生がそうであるように、生徒さんたちもみんな、どこか取り繕ったような、自分を演じているような不自然さがありました。無理に自分を大きく見せようとしている感じがしました。
「どう自己アピールをするべきか。」これは私がニューヨークにいたときも、よく言われていたことです。けれどもあるときから、自分を主張しないと負け、そんな雰囲気にひどく疲れてしまって、嫌気が差すようになりました。
そんな私も、ニューヨークに留学したばかりの頃は、自己アピールをしなければ、と思っていました。当時は、無理をしていることにも気づいていませんでした。人に見下されないように、自分の周りに壁を作っていました。周りからどう思われているかが怖かったんですよね。
何かにつけて、「自分」「自分」を前に出していく人たちというのは、周りの人たちを消耗させます。「人目を気にする」のもある意味、「自分」にしか意識がいっていないということなので、同じことですね。
そういう「自分が」「自分が」という世界にいると、周りを敵と思うようになります。虚勢を張っていないと自分が保てなくなります。そしてどんどん、本来の自分からズレていくんですよね。
「こうでなくてはいけない。」そう教えることも、自分が思うことも、自我を通すことに他なりません。
そしてそういう生き方は、演奏にも現れます。
「自分」を証明するような演奏になります。演奏を通じて、「人から認められたい」、が透けて見えてしまうんですよね。どこか一芸を見せられているようで、聞いている方も素直に音楽を感じられなくなります。
一方で、心にスーッと入ってくる音楽とは、ピュアで正直な音楽です。そんな演奏からは、音楽家が素直に音を届けているのがわかります。「自分が自分が」と前に出ていく演奏ではありません。
音楽家は、作曲者とオーディエンスを繋ぐ翻訳者です。楽譜が作曲家からの手紙のようなものだとしたら、彼らの言葉をそのままに届けるのが音楽家の仕事です。
最近は、あたかも自分のもの、自分の作った音楽かのような演奏をよく見かけます。そして、そう仕向けるような指導もよく見かけます。
こういう演奏や指導を観たときは、後味が悪いです。けれどもこれが、世の中の流れであり、トレンドなんだろうとも思うんですよね。
動画を見て嫌な気持ちになる、そんなときもありますね。けれどもそれは、『自分がどうありたいか』を見出していくきっかけになります。
「正直な音楽」そしてその反対側の世界。
あなたはどちらの世界を選びますか?