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才能がないわけじゃない

今回も引き続き、古武順子さんのソロリサイタルへ向けての準備の様子です。

「なんで今まで私はこれを習ってこなかったんだろう。」

私の下で8年間近くも歌を習い続けている順子さんですが、毎日のように限界突破レッスンを受けていく中で、ここに来てまだ声が変化し続けていっています。

レッスンを受けるたびに、全く違った感覚に刷新されてしまう、ということが毎日のように起こっています。

「あ!この感覚だ!」と何かを掴んだと思ったら、また次の日のレッスンでは、その先の「あ!この感覚だ!」に書き換わってしまうのです。

順子さんからしたら「なんで先生はこれをもっと前に私に教えてくれてなかったんだろう。」と思ったかもしれません。

でも、以前の順子さんにはそれを教えることができなかったのです。

教えていると、「今はここまで。」というのが分かります。もっと先へ押し進めたい気持ちがあったとしても、それ以上は今の段階では進めないという境目があるのです。

それは、声の発達状況だけのことではありません。考え方や感じ方が変わっていかなければ、それ以上先へは進めないということがあります。

言ってみれば、教わる側にもそれを受け取れるだけの器が必要だということです。同じことを同じように教わっても、それを受け取れるタイミングというものがあります。

「毎日感覚が刷新されていく。変わっていく。」

このことに気づけるようになるだけでも時間のかかることです。もっと前なら、その感覚の違いにすら気づけなかったわけですから。

「自分には才能がないんじゃないか、という考えは間違いだからね。才能がないからできないんじゃないんだ。今君はそれを学んでいる最中なんだ。全てはプロセスなんだよ。」

今までプロセスを教わってきていない人たちは、「自分には才能がないのかもしれない。」という思考に陥りやすい傾向があるように思います。

できるできないで自分をジャッジするのではなく、「今それをできるようにしているところなんだ。」と自分の心を丈夫にしておくことは大事なことです。

そうでなければ、何か困難がやって来るたびに、「才能がないんじゃないか。」という思考によって成長の流れが止まってしまうからです。

歌うということは、正しい種類の緊張、正しい量の緊張を保持するということです。そこに必要なのは内に秘めたINTENSITY(激しさ、強さ)です。

スッと楽に声を出してはいけないし、リラックスしていてもいけません。

その緊張状態に居続けるためには、相当な努力が必要です。できるできない、合ってる間違ってる、といったジャッジに頭が支配されているうちはその努力はできません。

全身全霊でエネルギーを歌声に注ぎ込もうと思ったら、なりふり構っていられません。綺麗に歌おうとか、これで合ってる?などと考えてる隙すらもないのです。

順子さんは今リサイタルの準備をしながら、今までいかに自分が本気を出し切っていなかったか、ということに気づいていると思います。そして、余計なことに思考や心を奪われている場合ではない、ということも実感していると思います。

何か今の自分にとって少し大きなこと、チャレンジに思えることに挑むことで、徹底的にやり抜く強さが生まれます。その本気モードでレッスンを受けるからこそ、成長できるのです。

2回目のイリヤンとのコーチングでは、それまでの私とのレッスンの積み重ねもあって、順子さんは別人のように成長していました。

「自分じゃないみたい。」

コーチングを終えた順子さんが言っていたことです。これはとても良いサインです。

歌っている順子さんは必死で、今はまだ自分を客観視する余裕もありません。当然、自分がどれほど変わったかについても実感はないでしょうし、そのことに気づくのはもっと先のことだと思います。

ただ、以前とは全く違った音楽が体の中に流れている、と感じられるようになったことはとても大きな変化です。

そして、私とイリヤンがいつも生徒さんたちに言うことがあります。

『まだ始まったばかりだからね。これからもっともっと良くなっていける。ただそのためには、この努力を続けていかなければいけない。今ようやく正しい努力の仕方がわかったんだから、それをやるかやらないかは君次第だよ。』

リサイタルを準備するということは、本気モードで自分を正しい努力へと向かわせるためのきっかけに過ぎません。

そして、リサイタルで良い演奏をすることだけが目的ではなく、それまでの準備を通じて自分がどこまで変わっていけるか、ということが最も大事なことなのです。


本番へ向けて、準備は続いていきます。

チラシが出来上がりました!

最後まで読んでくださってありがとうございます。
今日も良い一日を!

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