ジャズ私小説 Old folks
歌舞伎町の思い出横丁にある飲み屋に通っていた時期がある。
その飲み屋にチャーメンをたまに差し入れしていた。
チャーメンとは川崎南部のソウルフードのひとつで中太の平打ち麺を塩味ベースに化学調味料でパンチを効かせた野菜が半分ぐらいを占める焼きそばと野菜炒めの中間に位置するようなまあジャンクフードです。
このチャーメンには、ちょっとした思い出がある。
僕は小学校低学年の時に算盤塾に通っていた、当時は子供の習い事としてはポピュラーなものだった気がする。
その算盤塾が終わり外に出ると今はもう亡くなった、おじいちゃんが待っててくれる時があった。
酒飲みというよりアル中に近いおじいちゃんの片手にはワンカップかデルカップがあり。
僕を待っている間に一杯始めてる有様だった。
川崎駅前でクラブを経営していた祖父はロマンスグレーの頭髪にサスペンダーがトレードマーク。
ダンディなおじいちゃんが僕は少し自慢だった。
おじいちゃんが算盤塾に迎えに来てくれた時はいつも二人で同じ中華屋に行った。
僕はいつもチャーメンを食べた。
男の割に口が小さい僕はいつも口の周りにキャベツやニラの切れ端をつけ、それをおじいちゃんがいつもおしぼりで取ってくれた。
余談だがこの頃から僕は気に入った食べ物があるとそればかり食べ続ける、なにぶん発達障害的な要素があったようだ。
おじいちゃんは搾菜をつまみに紹興酒を飲み酔っ払うと必ず店主に向かって孫である僕の自慢話を始めた。
可愛くて頭が良い自慢の孫だとか、大きくなったら天下を取るんだ。
そして折り合いが悪い義理の息子つまり僕の父親の悪口を言った後にアメリカをやっつけて、おじいちゃんの仇をとってくれと酒に酔い赤らんだ顔で言うのが常だった。
あれから随分と時間が経った、僕は当然だけどアメリカをやっつける気など全くない平和主義者のどうしょうもない酒飲みになり。
天下を取るどころか音楽の才能こそ多少あるのかもしれないけど、それ以外のことに関してはまあ真面目なだけが取り柄のつまらない人間になってしまった。
とても女性にモテた祖父の血を引いているというのに、そちらも全く駄目で不器用そのものだ。
現在の僕を見ておじいちゃんは、どう思うのだろう。
目の前では飲み屋の可愛らしい女の子がチャーメン を美味しそうに幸せそうに食べている。
彼女の唇の端にキャベツの切れ端が付いていた。
そんな微笑ましい光景を見ながら、僕はおじいちゃんの事を少しだけ思い出していた。