モダンジャズという表現における数学と文学の要素。
パリでのジャズマンの日常と友情を描いた名作映画「ラウンドミッドナイト」の中でデクスターゴードンが演じるディルターナーがテナーサックスで「As time goes by」を吹いていると「歌詞を忘れてしまった」と吹くのを途中で止めてしまうシーンがある。
僕なりの解釈だがジャズは音楽理論より心の情景を重要視するべきだと示唆したモダンジャズにおける文学の要素を端的に表現した印象的で美しいシーンだ。
ただその一方で破天荒な生涯を送った伝説的な天才ベーシストであるジャコパストリアスは、こんな言葉を遺している「音楽は紛れもなく魂の奥底から生まれてくる物だが、それを取り出し形にするのは数学だ」
僕はいつだってこの数学の要素に魅せられてきた。
なぜこの音がこの和音の上でこんなに美しく響くのか、本来ならこの和音のはずなのに何故別の和音を使う事ができるのか。
いつだって僕の好奇心を刺激するのは、モダンジャズにおける数学の要素だった。
逆の言い方をすれば文学の要素を疎かにしてきたと言ってもいいだろう。
これは僕が比較的だが数字に強い事も関係していると思うが、やはり僕が異常なまでの人見知りと恥ずかしがり屋なのが理由なような気がする。
僕がジャズのスタンダードのバラードを吹いている時に歌詞を頭に浮かべているかといえば答えは否だ。
演奏中の僕の頭には調性や和音や音階の事など、モダンジャズにおける数学の要素がほぼ頭の中を占めている。
これは僕に限らず殆どの管楽器奏者が同じだと思う。
正直にいい歳した大人がラブソングの惚れた腫れたを意識しながら喇叭なんて吹けるかいな、そんな小っ恥ずかしいというのが以前の僕でした。
ただ最近はトランペットという楽器で感情を表現する、トランペットを歌わすという意味においてその文学の要素が僕の音楽に足らなかったのかもしれないと思うようになってきたのは、僕が歳をとったせいだろうか。