僕がMILE SHAREで働くまで
▼2020年8月 プロローグ
僕がMILESHAREで働き始めて半年が過ぎました。
働き始めた経緯や森田との関係を話すと
「え!?そこから働くことになったんですか?」とか
「出会いってそこなんですか?」
みたいなことを言って頂けまして、リアクションをしてもらえるんです。
そんな方達の優しさを単に勘違いしているのかもしれません。
でもドラマや小説みたいな劇的な展開はなくても、日常のリアルを感じられる内容なのかもしれない。
そんな自惚れを含みますが、僕の自己紹介も兼ねて
「MILE SHAREで働くまで」を綴ってみようと思います。
▼2018年8月①
今から遡ること2年前。
オンラインサロン”西野亮廣エンタメ研究所”に入会して約半年。
エンタメ研究所で”初代ダサいダンサーズ”の参加権が発売された。
この企画は8月の終わりに開催されるイベント”素敵な音楽会”の中で、
西野さんとダンスを踊れるというもの。
西野さんはダンスが超絶苦手らしく、だからこそ苦手なことに挑戦すると。
そして苦手だけど一緒にダンスに挑戦する中年のおじさんを募集した。
『 ダンスか・・・』
僕はダンスが苦手。苦手意識なのかもしれないけど踊るという行為は避けて来た。
年齢は38歳だし、おじさんという条件は満たしている。
『 でもなー、踊れるようになるかなー、笑われるだろうなー、挑戦になるのかなー 』
とネガティブな感情がグルグル。。。
ウジウジと迷っている間にチケットは売り切れ。
みんな凄いな!と思った。そして猛烈に後悔した。
でもそれで話は終わらない。
なんと西野さんが追加分を出してくれた。
尚且つウジウジ迷う中で書いた僕のコメントに「やるんだよ!」って返してくれた。
これはもうやるしかない!
そう思って購入した!!
ら良かったんだけど、見事に追加分も売り切れていた。。。
『 えぇぇぇ。。。みんなはえぇぇぇよ。』
と思いながら、どこかでホッとしていた。
でもやっぱりやってみたかったよなーと思ったので、
投稿内に『 キャンセル待ちします!』ってコメントした。
いま思えば、このコメントが僕の人生を大きく変えることになる。
▼2018年8月②
キャンセルなんて当然だけど出ない。
でもキャンセル待ちを宣言した他の友人たちと勝手に練習をしていた。
そして本番一週間前くらいの平日の朝。
「キャンセル出たよ。どうする?」
とDMが来た。
『 マジでキタ! 』
と同時に本当に出るのか?とも思う。。。
こういうところが本当に情けない。
でもあの後悔はもうしたくないよな、
結構必死に練習したもんなと自分に言い聞かせて
『 参加します! 』とDMした。
もう本当にやるしかないなと思うのも一瞬で、
すぐに西野さんや初代のメンバーとのダンスレッスンに参加した。
本番前日の夜。
リハーサルを兼ねて初代メンバーが集合してレッスン。
ここでも全員は揃わなかった。そんな突貫工事で進んでいく。
そこである男に出会った。
彼の名前はノブ。MILE SHAREの創業者だ。
初代メンバーが集まったリハーサルでリーダー的な雰囲気だったのを覚えていて、
『 あーこの人を中心になってまとまっているんだな 』と思った。
初対面は正直そんなに覚えていない。
新参者だった僕は
『 キャンセルが出て参加することになりました。よろしくお願いします。』
位の挨拶だったと思う。
そして「あー笑 知ってますよ。練習してたらしいですね。よろしくお願いします。」位の返しだったはず。
それからレッスン終了後にみんなで呑んだ。
そこでたまたまノブの隣に座ったんだけど、その時に初めてMILE SHAREについて聞いた。
「面白いことを考えるな」「確かに誰もやってそうにないサービスだな」って思った。
今振り返ると飛行機にほとんど乗らない、マイルにも興味がないからこその先入観のない発言だったと思う。
知っていたら無理だって思ったかもしれない。
この時にMILE SHAREで働く予感があった、と書ければカッコイイけど全くそんなことはなかった笑
当時、僕は勤めていた会社を9月末で退職する予定で、当面の間は働く気が皆無だったから。
人生、どう転ぶか分からない笑
▼2018年9月
“素敵な音楽会”は全力で踊った。それはもう膝がぶっ壊れるほどに(前十字靭帯損傷しました笑)。
音楽会終了後、一週間ほど経った時に彼の呼びかけでみんなが集まることになり、そこで朝まで呑んだ。
というか途中で寝てしまった。
起きると僕一人。
スマホにはメッセージが来ていて「俺は起こしたぞ!」と。
「いや、起こせてないじゃん!」と突っ込んだ記憶がある。
初代ダンサーズとして途中参加だった僕は彼と接点がなかったけど、
この時の呑み会で少し距離が縮まったように思う。
▼2018年12月
久々の再会は年末の”天才万博”。
“天才万博”では二代目のダンサーズが踊ることになっていたんだけど、
そこにサプライズ出演をさせていただくことに。
打ち上げで久しぶりに話したと思うけど、この時に彼と後にシーシャ部メンバーとなるマサとススム、トモが2月頃に大阪で会う約束をしていた。
#シーシャ部ってナニ
この会話を羨ましさを隠して聞いていたのを覚えている。
そして打ち上げの会話の中で、今度呑みに行こうって言った。
話の流れは忘れてしまったけど。
この発言がその後の展開に影響することになるとはね。
因みにMILE SHAREのことは全く話していない。
いつになったら動き出すんだろう笑
▼2019年1月
記憶は定かではないけど、とある方のFB投稿でノブと誰かがコメントのやり取りをした。
確か「呑みに行きましょう、いつでもイイですよ」みたいなやり取り。
そこで僕は思い出す。
年末にそんな約束をしたなーって。
彼は起業家で忙しい身。
僕に対しての発言が社交辞令なのは分かっていた。
でも。当時の僕はそれでも話せるチャンスがあるなら・・・と思っていた。
だから嫌われるかもな、と思いつつ
『 俺と呑みに行くって言ったのに実現してない!』
みたいな感じで絡んだ。
で、ドキドキしつつ反応を待った。
すると
「誤解を招くだろwいつ行く?」
みたいなコメントが返ってきた。
そこで初めてDMをしてサシ飲みをする約束をした。
コレって賭けだったよなと今は思う。
忙しい人の社交辞令を鵜呑みにしちゃいけない。
僕の賭けが成功したのは理由があったと思う。
それはまた次の機会で触れよう。
▼2019年2月
サシ飲み当日。
渋谷でご飯を食べ、初めてシーシャを吸いながら色々な話をした。
でもほとんど仕事の話はしていなかった。
話の中心は僕のプライベートに関すること。
もしかしたらビジネス的な相談とかだったら、このサシ飲みは実現していないかもしれない。
僕の当時の状況に彼が関心を持ち、話を聞いてみたいと思ったから実現したのかなと今は思う。
忙しい人と話したいなら興味を引く”ナニカ”がないと難しいかも。
そういう意味では僕はラッキーだった。
そして、ビジネスではなく友人としての関係がこの時から作られていったように思う。
それと呼び方というのは大事だよなーと。
年末に話していた大阪集合のメンバー間で「下の名前で呼び合う」ことに決まったらしい。
そんなこともあり、この日の途中から僕のことを”りょう”と呼び始めた。
仲間として受け入れてもらえた気がして嬉しかったなぁ。
この当時は本当に嬉しかった。
暗闇の中を歩いているような心境だったので。
そして、翌日に大阪で会ったメンバーと呑むというので参加させてもらうことに。
ここからシーシャ部メンバーとのコミュニケーションが本格的に始まる。
▼2019年3月
3月はノブが主催したクラウドファンディング
「札幌で開催!【キングコング・西野亮廣講演会】で北海道を熱く盛り上げたい!」
が実施された時期。
この時、声を掛けてもらってスタート時の動画配信に参加させてもらった。
僕は何もしてないんだけどね。。。
この時のクラファンは開始90分位で目標額の100万円を突破。
なんというか良いモン見せてもらったなーというのが正直な感想。
同時にノブが積み上げてきた信頼を見せつけられて凄いなと思った。
講演会は5月下旬の開催。
僕は講演会スタッフをやりに人生初の”冬”じゃない北海道に行くことに。
まさか1年後に住んでいるとはね笑
▼2019年5月
講演会前にシーシャ部メンバーが札幌に集合。
Airbnbで宿を取り、大人の修学旅行みたいなことをした。
最近よく目にする言い方をすると”控えめに言って最高”だった。
この時にシーシャ部のメンバーと深い話が出来たと思う。
夜明けまで呑んで話して、気絶して、朝からまた活動という数日間。
「シーシャ部は仲が良いよね!」と良く言われる。
それは僕も思う。
でもこれを読んでいる人は分かったと思うけど、
共に過ごした時間の長さはそうでもない。
なんでこんなに仲が良くなったのか。
そのキッカケはこの時の札幌旅行が影響していると思うんだよね。
▼2019年6月①
僕の人生が動き始めたのがこの時から。。。
少し時期は遡るけど、春頃から英語の勉強を始めていた。
目的は「苦手なことに挑戦する」。
2018年は”ダンス”だった。
2019年は”英語”だろうと。
僕は英語が超絶苦手。
ずーっと避けてきた。逃げてきた。
海外志向も全くのゼロ。
海外旅行も大学の卒業旅行で行ったくらい。
日本で生きていけるならそれで良いと本気で思っていた。
でも。
ある時ふと思った。
『 いま海外に行ったら面白いんじゃ?』って。
英語から逃げまくってきたヤツが敢えて飛び込んでみる。
苦手なことに熱狂することの素晴らしさを2018年にダンスを通じて学んでいた僕は、感覚がバグっていたのだと思うけどこんな風に考えてしまった。
そして類は友を呼ぶと言うけど、こんな変な挑戦を会う人に相談すると100%賛成してくれた。
『 いや、止めろよ!俺、いま変なこと言っているんだぞ!』
とちょっぴり思ったのは内緒だ。
そんなこんなで引くに引けなくなった僕は、インターンでいい、
生活できるくらいのお給料でいいから
『海外で働いてみたい』『スタートアップで働きたい』
とノブに相談してみた。
スタートアップで働いている人間は面白いと彼を見て思っていたので。
スタートアップで働けば、面白い人に会えて、ワクワクできると思った。
単純だよね。
こういう思考になったのはノブに影響を受けたのは間違いない。
同時に海外で働くことが実現したら
『 MILE SHAREで働くことはないな 』
とも思っていた。
▼2019年6月②
ノブに相談してから数日後。
確か恵比寿でシーシャを吸っていた時。
ススムにふと言われた
「それでいいの?」
にハッとした。
と同時に僕はある約束をキャンセルした。
なんのことか分からないですよね。
ここは余白ということで、想像にお任せします笑
本来なら約束があった日。
僕はマサに誘われて、またまた恵比寿にいた。
ご飯を食べてシーシャを吸っているとノブが友人を連れて現れた。
後で聞いたらマサが恵比寿にいると彼に連絡してた。
その友人こそ、僕がホーチミンに行く機会をくれたクニさんだった。
クニさんはベトナムのホーチミンでfreecracyというHRTechのスタートアップを創業しCEOとして活動している。
初めましての日から3日後くらいだったと思うけど、
改めての面談をしてその場でホーチミン行きが決まった。
1ヶ月後の8月から業務開始だと。
『 ヤバい、色々進んでしまった、本当に海外で働くんだ 』
という事実を受け止められず震えた笑
この流れ、今振り返るとあのタイミングしかなかった。
クニさんはホーチミン在住。年に数回は日本に来るけど、
当時のスケジュールだとあの日以外で会う機会は作れなかったそう。
あの日、
ススムに「それでいいの?」と言われなければ、
キャンセルしなければ、
マサが誘ってくれなければ、
マサがノブを呼ばなければ、
ノブが会わせてみるかと思わなければ、
数多くのことたらればが重なって僕は海外スタートアップで働く機会を得ることができた。
受け入れてくれたクニさん&シーシャ部に感謝です。
ってMILE SHARE出てこない!!
▼2019年11月
そろそろいい加減にしろよって思われてますよね。
そしてこうも思っているはずです。
「最近まで何の話もなかったんだ」と。
はい。僕も今回振り返ってみて驚きました。
freecracyでの業務を終えて10月下旬に帰国した。
ベトナムが好きになっていた僕はもう一度戻ろうと決めていたけど、
を探さないとなーとも思っていた。
向こうでフリーランスで生活費稼ごうかな、そのための土台の3ヶ月にしようかな位のことをボンヤリ考えていた。
帰国した時期はちょうどハロウィンで、ハロウィン後のゴミ掃除と言えば
西野亮廣さん。
ということで渋谷のゴミ掃除に参加した。
このイベントでシーシャ部のススムと久しぶりの再会。
そしてユキちゃんとも。
この時、『 またホーチミンに3ヶ月行くから遊びに来なよー 』って
軽い気持ちで言ったんだけど、それがまさかあんな展開になるとはね笑
再出発前夜。
ノブが「ウチから行った方が近いんじゃない?」と言ってくれて泊めてもらうことに。
深夜に彼とMILE SHAREについて話す。
それまでも今どんなことをしているみたいなことを聞くことはあったけど、この時に初めて踏み込んだ話をした気がする。
やっとって感じ笑
最後に
『 俺にできることがあれば手伝うよ。リモートでも出来ることはあるよ 』
と伝えた。多分。。。
そして僕は一睡もしないまま、ホーチミンに向け出発する。
見送りをするから起こしてくれと言われたので起こしたけど起きなかった彼を残して。
いつかのお返しに『 俺は起こしたぞ! 』とLINEを入れて。
▼2019年11月27日
朝起きると一通のLINEが来ていた。
ノブからだった。
実は出発前夜に手伝うよと言ってから、Webサイトの改善施策についてマーケ担当のシブヤさんと協議を続けていた。
だからそれに関する連絡かと思ったんだけど、
「本格的にウチに来ないか?」
という内容だった。
『 このタイミング!?ホーチミン来てまだ2週間よ? 』
と思ったのはココだけやで・・・
当時のやり取りを見返していると、最初断っている笑
その時の心境は恐らく自分が役に立てるか分からなかったから。
スタートアップは資金が尽きる前に投資を受けられなければそこで終わる。
人を雇うということはそれだけ事業継続の期間が早まることに繋がる。
だから
『 俺が役に立つかお互い分からないし、まずはお試しで始めない? 』
と伝えた。
でも彼の回答は「フルコミットで考えてる」と。
そうかい。普通は雇う側が言いたいセリフをこっちから言ったのにね。
それじゃあやったりましょうと笑
※脚色しています
ノブと出会ってスタートアップを知ったし、スタートアップ界隈には面白い人がいるんだと知ったのも彼のおかげ。
絶対に無理だと言われても自分を信じて進めるところに惹かれたし、
刺激をもらい続けた。
だから海外に出ることを決断したし、世界を見て体験して価値観が広がった。
日本に居たら絶対に分からなかった。
行かなきゃ感じられなかったことが山ほどある。
そう。今の自分があるのは彼のおかげだ。
そんな彼からの誘いは嬉しかった。
でも。怖さもあった。
▼2020年1月
海外でのカウントダウンを体験し、帰国の日が近づいていた正月明け。
待てど暮らせど来ない。。。
ユキちゃんが!
11月に渋谷で会った時に遊びに来なよーって気軽に言ったあの後。
年末から東南アジアを回っているのを、ずーっとFB投稿で見てたけど、
全然ベトナムに来る気配がない笑
「ホーチミンにいる友達に会いにく」と書いていたけど、
それって本当に僕のことか心配になってきていた。
そんな不安を感じているとようやく連絡が来た。
「ダナンに行こうと思う」
『 コンビニ寄るくらいの感覚で最後にホーチミン寄る気だな 』って思ったよね笑
因みにホーチミンとダナンは東京と北海道くらい離れている。
連絡が来た時に酔っていた僕は何故か『 じゃあ行くよ 』って言ってた。
連絡を受けた翌々日、ピンク色の教会で久々の再会。
シチュエーションはロマンチックだった気がする笑
それから約2日間、旅行をした間に色々と話した。
会話は主にMILE SHAREで働くこと。ノブとの関係について。
友人から雇用する側とされる側になることについて。
僕が感じていた怖さについて、彼女に沢山相談に乗ってもらった。
こんなことを言うのは畏れ多いけど、彼女と西野さんの関係を自分とノブに重ねて考える時が今でもある。
ノブにMILE SHAREで働くと伝えた時に覚悟はしたつもりだった。
でも本当の意味で覚悟をしたのはこの時だったように思う。
彼女の人生観や人との繋がりの考え方はいつも勉強になる。
自己啓発系の本を読むくらいならこのサロンに入って投稿を見る方がよっぽどいい。
感情がめちゃくちゃ込められていて刺さるし、芯喰った話が沢山聞けるよ。そんな彼女の脳内が覗けるオンラインサロンはこちら。
ユキちゃんだけでなく、みんな親身になって聞いてくれて意見をくれる。
僕は本当に人に恵まれている。
そうそう。
grabバイクから降りた彼女の絶叫ぶりを動画に収めなかった僕は仕事ができないヤツです笑
▼2020年8月 エピローグ
11月の終わりに誘いを受けてから色々調整をして、2月からの業務開始と
なりました。
そして2月上旬にホーチミンから帰国して、3日後位から働き始めたので
半年が経ったことになります。
その間に札幌に住み始めたり色々なことがあったけど、一番大きいのは
やっぱり新型コロナウィルスの大流行です。
MILE SHAREは航空業界の企業だし、大打撃を受けています。
その様子はYoutube版ニシノコンサル#02でぶっちゃけた通り。
この期間中の企業内の動きは、きっとどこも似たようにものだと思います。
MILE SHAREでは目玉となる国際線サービスを開始するために着々と準備
していましたが、新型コロナウィルスの大流行で飛行機はストップ。
国際線はほとんど壊滅状態に。
さぁこれからアクセルを踏み込んで仕掛けるぞ!のタイミングで理不尽に
踏み潰されてしまいました。
飛行機が飛んでいないのならサービスを開始しても仕方ない。
「国際線サービスは延期しよう。」
その判断は正しかった。
でも。
ずーっと開発を続けてきたエンジニアチーム、
事業のために尽力してきたノブ達。
彼らのやるせなさは推して知るべしで、何とも言えない感情でした。
ネガティブなことを挙げればキリがありません。
それでも前を向くんです。
MILE SHAREという”飛行機”は。
「ラッキーでしかない」「俺たちは持ってる」と声を掛け合って
今やるべきことをやっています。
”移動には価値がある”と信じて。
如何だったでしょうか。
以上が『 僕がMILE SHAREで働くまで 』です。
ほとんどMILE SHAREのことが出て来ないことに一番驚いたのは僕です笑
初代ダサいダンサーズの参加券を買い逃したあの日。
『キャンセル待ちします!』ってコメントしなければ、
ノブと出会っていません。
MILE SHAREで働くこともなければ、
ホーチミンで働くこともなければ、
シーシャ部にもいないでしょう。
振り返ってみると”facebookにコメントした”という何とも日常的な一コマが人生を変えていますよね。
でもあの一コマがあったから、多くの人と出会い、育ててもらい、支えてもらって今の僕があります。
人生、些細なことがターニングポイントになるんですね笑
おしまい