9年ぶりの木頭村
佐々木芽生さんに会いに久しぶりに木頭村に赴いた。
僕の住う佐那河内村と同県であるが、近いようでいてかなり遠く片道2時間半ほど、つまり大阪に行くのと同程度の時間がかかる。月日を数えてみると実に9年ぶりだった。
那賀川沿いのクネクネ道をひたすら進み木頭村に入る。
最初はあまり変わっていないようにも思えたが、次第に変化に気付いてくる。
たとえば、ロケで宿泊していた小森旅館という旅館はすでに休業していたし、当時はなかった今風のロゴや建物を見て暫しギョッとし浦島感が湧く。
佐々木さんは著名なドキュメンタリー映画監督である。
香川の映画監督の方からなぜか紹介してもらえる事になり、木頭村で住み込みながら新作を撮っていると知りぜひとおもお会いしたいと思った。このコロナ禍でほぼどこにもいかず、刺激に飢えていたし、自分の能力というものに自信がだいぶ持てなくなってきていて、ヒントを探していたのかもしれない。ちなみに僕はドキュメンタリー映画はそれほど見ないタチなため、不勉強ながら彼女の作品を見れていない。
色々話を伺ってみると、佐々木さんの肚の座り方は段違いだと感嘆した。
『ハーブ&ドロシー』をいかに作り上げたか。6年を費やした『おくじらさま』の事を直に伺う。彼女が作り上げた二作のドキュメンタリーはいつもそのように時間をかけて作られている。
僕自身、『神山アローン』は6年間の歳月をかけ、『あわうた』にも3年を要した。けれど自分で撮影もし、編集もする事でなにか他に裂かれるものが少なからずある。低予算だから、というエクスキューズも多々ある。
だが佐々木さんは必要なものをファンドレイジングして、諦めない。
無理だ、と看過せず道を切り開いていく。
2018年末から木頭村に入り、住み込みながらストーリーを探しているのだという。思い返せばドキュメンタリーの教育など何も受けていないで自己流にやってきた自分であるが、同じく自己流でひたすら考えながらやってきたという佐々木さんに学びたいなと思った。
いるかな?と思い久々に玄番真紀子さんにメールすると、すぐに会える事になった。そこにタイラーというアメリカ人のビデオグラファーもやってきた。取材でお会いした色々な方の訃報や体調の悪化などを訊く。山ザクの事や木馬の事を教えてくれた菊兄や、太布のお婆さんも亡くなられたとのこと。
「慶太郎さん、今日たまたまおうちにいられますよ」と玄番さんが言った。
慶太郎さんとは、産土に登場される名うての山師。鹿の解体を覚えてらっしゃる方もいるだろう。
一部切り出した慶太郎さんのインタビュー
https://vimeo.com/manage/videos/119949124
家の中に杖をついた慶太郎さんがいた。幸い僕のことを覚えていてくれた。背骨がやられ、足も痛く。もうちゃんと歩けないという。もう94になったというが、耳も悪くなく頭もはっきりされているが、やはり老いは隠せない。ずっと施設に入っていたが、数日前に抜けてきて家に帰ってきたのだという。
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言葉がなかった。いつか会いに来て感謝したいと思っていた。会えてよかったという思いと、昔見て好きだった映画を見直して、やっぱやめておけばよかった気持ちに似たなんとも言えない気持ちに襲われた。9年前の撮影の時にあったスダチ君の旗を巻いた椅子が少しばかり色褪せて変わらずそこにあった。帰り際、「いい作品また作ってや。また見せてな」と彼は笑った。そしてずっとこちらに手を振ってくれたが、そちらを凝視することができなかった。
Photo by Tyler
中野みね子さんは佐々木さんと顔見知りのようで、行くやいなや一気に9年の歳月を超えて数日ぶりに会ったような感覚になった。なくなった旦那さんの中野健吉さんの写真を展示しているKen's ギャラリーは、コロナ対策のアクリル版が机にある以外は、何も変わっていなかった。あれから中野さんが9年歳をとったという印象はまったくなかった。
中野さんは僕の訪問の話を聞くと「涙涙じゃ」と言った。僕が以前ubusuna projectのホームページに書いていた中野さんのインタビューと文章に感動してくれていたのだという。話してみると、9年前とまったく同じ話を彼女はした。どれだけ健吉さんのことを愛していたか、彼も彼女のことを愛してきたか。てれもなく、ひたすら彼女はのろけつづける。「はなれ」という名前の宿泊所を作ったと聞き、案内してもらうと、デザイン的にもかっこよく(それも些かかなりカッコ良すぎる感じで)面食らった。また子供らを連れて泊まりに来たいと思った。
佐々木さんに勧められるまま酒を呷り、気がついたら朝の四時半ごろまでひたすら話し続けていた。ドキュメンタリー作家恐るべしである。この底なしの体力とエネルギーこそが、映画人というものの素晴らしさであると久々に思い出す。
「人生のシナリオは書き換えられる」と彼女は何度も言った。
朝起きると窓の外は豪雨だった。久々に見上げる木頭の山々から「おかえり」と言われたような気がした。この9年でまったく様変わりした木頭村の光景と、変わっていないものとの間を佐々木さんはカメラ越しに見守っている。ひょっとするとこれから佐々木さんの手伝いで木頭にちょくちょく通うことになるかもしれない。
縁というものは、それでもなくならないのだなと思った。
*追記 慶太郎さんは、ずっと施設に入っていたわけではなく、施設に入っていたが途中で娘さんの家に行き、戻る段になって施設の空きがなくなり、ずっと娘さんのところにおり、たまたま木頭に帰ってきていた、とのこと。