見出し画像

「言葉にならぬもの」

随分と前に作った小作がやっと公開された。
え?なに??いつこれ?3年前??…。

京都の老舗茶筒屋である開花堂の六代目、八木隆裕さんを追ったものである。一応広告の類ではあるが、「作品」として作っている。作ろうとした。

これが作り終わるかどうかの最中でコロナになった。

コロナがなかったらならば、あるいは僕は京都にオフィスを構えていたかもしれない。が、今時間が経ってみると、無骨な坂東武者の、はたまたいかがわしいバクロの血を引く自分には都の人々から歓迎されていたのか、馬鹿にされていたのか、いまいちわからない。しかしあらゆる人々の人生と同じく、それが僕にとって起こるべき出来事で、事態であったということだ。いや京都だからといって妙に身構える必要もあるまい。撮影者というものは常に部外者で、異分子なのだから。

本作、別に依頼者から頼まれてもいないのに、これでは「物語」にならないと、コロナがやや落ち着いた頃を見計らって再撮に出かけ、お父さんのパートを撮った。年柄年中取材されていて、取材慣れされ、それにおそらく食傷もされている主人公の、語り慣れた、言わずもがなの話をそのまま流すだけでは、何にもならない気がした。そしてそれは僕の仕事ではないと。そんなの求められてはいない。どうでもいいこだわりで、かさむ経費をさらに重ねてどうするというツッコミは自分の脳内でも無論奔出する。しかし、我を通すことにした。コロナで死ぬかもと何度も怯えた中、小説でも書いて生きてくしかないなとか揺れに揺れ学んだ中で、

ーーいい小説の書き方とは、その書き出す文字を人生最後のフレーズだと思いながら書け

とのとある方の発言に影響を受けたのかもしれない。

これが最後の作品、遺作となるならば、手は抜けない。たとえクライアントがよくわからぬ怪々たる相手だとしても、予算が目減りしようと、家族が腹をすかしていようと、俺は一人の「作家」なのだ。

いやはや無理していちびったものだが、そして「遺作」にしてはすっかり記憶から抜け落ちていたが、しかしよくやったなとは思う。広告と作品という、流れ者の映像製作者にとっては必然の二項の間で悩んだ。皆、悩めばいい。悩まなぬものに成長はないのだ。そしてこの父上の、気分屋の芸術家に対する幾分アンチテーゼというかディスりにも聞こえなくもない、「職人」というものに対する定義がやけに桜散る季節に染みる。いつ何時でも、ええもんを作るのが職人。ここで膝を打って、「父上、私も今日から職人と名乗ることにします」とか言いそうになるが、そこはグッと堪えよ、気分屋芸術家諸君。

あらゆる先達たちが、どんどん他界して冥府入りし続ける昨今の中で、もはや若者とは言われぬようになった白髪の目立つようになり出した蹴球黄金世代、野球松坂世代のアラフォーは刮目せねばならぬ。俺はする。俺はやはり芸術家だといつまでも自惚れてやるのだ。

さて、閑話休題というか最後に触れておきたいことが一つ。

これは2014年に無理をして買ったFS7という馬鹿でかいカメラで撮った、おそらく最後の作品となった。今思うと、しっかりファインダーを覗いて撮っているので、今の軽いカメラでラフに撮っているものとは違う。フォーカスが今より正確な気がする。

このカメラ、暗部耐性だけは課題だったが、やっぱいいカメラだったなと思う。スライダーを多用して何とかリッチなものにしようとしている意図を、やや老いた自分は幾分頼もしく、また幾分鼻白んで観る。

この項は続くのであった。

英語ナレーションは トムさん。

文字類は海外向けなので全部英語となっているのが申し訳なしであるが、タイトルの意味は「言葉にならぬもの」。

インタビューで頻出する「暗黙知」や、場にいなければ共有できぬ何ものか、みたいなものを僕なりに消化して言語にしたもの。

それでは、桜と杉檜花粉散る気だるい季節の、

素敵な眠たい午後のお供にご覧ください。

長岡参で、「言葉にならぬもの」


『産土』の連続配信や記事のアップのための編集作業は、映像を無料でご覧いただくためにたくさんの時間や労力を費やしております。続けるために、ぜひサポートをお願い致します。