洗顔フォームCMのジレンマ
テレビのCMのなかには、使用前・使用後のようなあからさまな結果を視聴者に見せることで商品の優秀さをアピールするタイプのCMがある。
洗剤のCMなどは、お風呂用洗剤、トイレ用洗剤、お皿用洗剤、キッチン・パイプ用洗剤、洗濯用洗剤など、ほとんどが「使用前の汚れが使用後スッキリ落ちる」映像を映す手法のヴァリエーションで作られているような気がする。また、薬品なども、ダルそうだったり、痛そうだったりした人が、症状が良くなって快適な暮らしに戻っていく様子を映しているようなものは、この手法で作られたCMの仲間とも考えられる。
だが、痔の薬や、便秘薬、生理用品など、下に関連した商品では、その商品の快適さ、功能を前面に押し出したくても、あからさまな結果を映し出す映像は不興を買ったり、かえって快適さのイメージを奪ってしまうというジレンマがある。だから、これらの商品は、あくまでオブラートにくるんだ下品にならないイメージでもってその功能を謳っているような気がする。
だが、これとはまた違ったジレンマに陥っているのが、洗顔フォームのCMではないかと思う。洗顔フォームというのは、「化粧や汚れを100パーセントすっきり落とす」のが至上命題なのだと思う。だが、どの洗顔フォームのCMを見ても、洗剤のCMがあれほど「すっきり落ちる」ことを映し出しているのに、、あきらかにタレントの化粧がすっきり落ちていないように見える。
これは、100%落ちる、ということを前面に押し出すと、タレントのすっぴんを映さなくてはならず、それが、「化粧を落とす前よりも貧相な顔」を映し出さなくてはならなくなる、、というジレンマを生むからだろう。
ほんとうは、100%落ちる優秀さを謳うなら、貧相でも何でも「すっぴん」を映さなくてはならないのだが、怖いのは視聴者に、「この洗顔フォームを使うと、使う前より顔が貧相になる」というイメージを植え付けられてしまうことだ。そのせめぎ合いの結果が、水でバシャバシャやっているのにその水しぶきから透けてる顔は、限りなくナチュラル(に見える)メイク顔、ということなのだろう。
だが、ここから視聴者は、その洗顔フォームのどんな功能イメージを受け取るのだろうか。。「洗顔しても、化粧時と変わらず綺麗な顔になれる。。」なのか、「やっぱり落ちてないのでは、、」なのか、微妙なところである。。私は間違いなく後者なのだが。
( 2006年10月28日記)
※ 洗顔フォームのCMって最近見ないですね。。