納豆の話し
学生だったころ、山に登る部活、ワンダーフォーゲル部に所属していました。そこの部活のメンバーが代々住んでいた、古い日本家屋の館が大学近くにありました。
入部したてのころ、部室で、「ペンギンむら」という名称の話題がよく出てくるなー、とは感じていたのですが、それが、当時部長であった伊戸川浩一さんや、部室でギターをよく弾いていた石橋さんの住居である、というのはだんだんとわかりました。
「ペンギン村」という名前からして、わたしは、アニメのアラレちゃんに出てくるポット型の家と、清里にあったミルクポットのイメージが相まって、可愛らしいペンションみたいな建物をイメージしていました。
初めてペンギン村に行ったのは、たしか、どっかのお店でワンゲルメンバー同士で飲んでいて、そのうちの何人かが泥酔し、3次会のような感じでわたしも一緒に押しかけて泊めてもらったのが最初だったように思います。
そのとき、草ぼうぼうの廃屋みたいな建物のまえで、「着いた。」と言われて、「え、どこ?」と思っていると、その廃屋の、薄べったいくもりガラスのはまった、古い木戸をガラガラと開けられて、そこがそうなんだと理解したとき、「いったいだれが、なぜこの建物に『ペンギン村』などというファンシーな名前をつけたのか…?!」少し怒りに似た気持ちを抱きました。
当時は1992年、東京ラブストーリーなどのテレビドラマが流行っていたころで、ドラマに出てくるのはおしゃれなフローリングの部屋が主流だったように思います。かぐや姫の歌った「神田川」が1973年、その20年の間にバブルがあって、暗い裸電球のボロアパートは、過去のものになりつつあった時代でしたが、ペンギンはまさに、ファンシーな呼び名に似合わない、四畳半フォークとか、つげ義春の漫画に出てくるような昭和のボロい木造家屋そのものでした。
ペンギン村は、大家さんがお花の先生で、その教室のために作られた日本家屋、ということだったのですが、中に上がっても、そんな風流な雰囲気はなく、歩いていてすこし畳が沈む感じ、柱の木の色からも、日本が高度成長する前の、暗い感じが漂っていました。住人が3人とも男性だったからか、ちょっと雑駁な空気感もあったように思います。唯一、階段のところの円形のガラス窓にだけ、「華道でこれを月に見立てるのかな?可愛いな。」と思わされました。
最初は、そんなペンギン村の雰囲気に「ゲゲッ」と思ったわたしでしたが、何回も訪れるうちに、女性が多めの、キャンバスのアメリカナイズされた近代的な空気感、そういうのがちょっと嘘っぽく感じられてきて、だんだんと、ペンギン村の、和のボロさにも愛を感じるようになりました。
以降、ペンギン村でコンパをやったり、何かと理由をつけて誰かと誰かがお酒を飲んでいる、というような状況もたくさん経験することになりましたが、そういう楽しい集まりだけではなくて、誰かの卒論や修論を、ワープロで打ち直す手伝いやら、大まじめに部活の執行部ミーティングをすることなどもよくありました。
そんなペンギン村の住人のひとりだった伊戸川さん。
当時から、眼鏡の奥のまなざしに、インテリジェントな頭脳の活気がキラキラと現れていた人だったのですが、それでいて色が浅黒くて、単なる「頭いい人」というだけでなくて、身のこなしから何から、野性的なエネルギーをも放っていたように思います。山に行く方ならわかると思いますが、ザックの色や、シャツの色、雨具の色で、メンバーの存在を意識するようなところってありますけど、伊戸川さんは、メガネにショッキングピンクのコードをつけていたり、鮮やかなピンクの山シャツを着ていたり、何かそれが、浅黒い肌によく映えていたのが印象に残っています。
伊戸川さんがペンギンにいたころを思い返して甦ってくるのは、やはりその手料理です。コンパのときに限らず、ほかの住人の友人が遊びに来ていたり、その友人の友人も一緒に訪ねてきていたり、そんなときでも、本当にまめに料理を振る舞っていました。
わたしが覚えているのは、スパイシーな夏野菜カレーや、豚の角煮など。30年たった今でも、野菜の具まで浮かんできて、いまだに忘れられないくらいの味だった、ということだと思います。手料理を褒めるほめことばの一つに、「店出せるよ。」というのがありますけど、当時から、伊戸川さんの料理に、いろいろな人からその賛辞が浴びせられるのを、本当によく耳にしました。
あるとき驚いたのは餃子の皮。餃子をつくるときは、中身の種だけを作るもので、わたしの感覚では、皮はスーパーで買うのが常識だったので、ペンギンの台所で皮から作っていたその後ろ姿に、食へのあくなき探求心を感じました。そして、伊戸川さんは、料理を非常に科学的に考えているようなところがあって、餃子の皮に関しても試行錯誤、実験データを積み重ねるような発言をたくさんしていたのを覚えています。
なので、ワンゲルメンバーで集まって、流れで、「みんなでどこかご飯行く?」となったときも、行き先がファミレスやファーストフード店になると、伊戸川さんだけはぜったいに行かなかったのも、むべなるかなという感じでした。また、当時は山に行ったら、東京でお留守番をしてくれた人に、下山後のおみやげを買っていく、という習慣があったのですが、伊戸川さんへのおみやげを選ぶときは、食べ物や素材へのこだわりが思い浮かんで、やたらなものは買えなくて悩んだのも、なつかしい思い出です。
伊戸川さんは、その後、経済学で進学して大阪に行かれましたが、そのまま学問の道を究めるのかなあ、、と漠然と思っていたら、全国利き酒大会で2位になられたのを機に、お酒と、料理を極める道に進んだ、と聴いて、やっぱり人間というのは、「ついついずっとやってしまうこと」を生業にするのが、1番幸せなのかな、と思わされました。
科学的な理科系の頭脳と、人をもてなす心根が、ペンギン時代から印象的だった伊戸川さん。そのお店「味酒かむなび」が、ミシュランで星を獲得した、とか、名だたる日本酒のライターの方やファンが訪れる名店になっている、と聴いて、いつか行ってみたい、と思いながら、ずっと果たせずにいました。そうこうするうちに、繁盛していたのに、お店が突如無期限休業を宣言、伊戸川さんは、こんどは納豆づくりに全身全霊で打ち込んでいることを、SNSで知ることになりました。
もともと、「かむなび」では、お酒のアテに発酵食品を出していた、ということで、日本人にとって、日常の食卓に欠かせない発酵食品納豆に、あの伊戸川さんが人生をかけている、それはぜったいに食べてみたい!と思い、この度、大阪に行く機会に恵まれ、お店を訪ねてきました。
お店は、谷町、というところにあるのですが、地下鉄からお店までの道がまた、城下町らしい、戦前の日本の雰囲気も残る街なみで、伊戸川さんは、ペンギン村といい、日本人が忘れようとするものに、縁があるのかなあ、と思いました。
お店の名前は、「らくだ坂納豆工房」。
「らくだ坂」とは、店近くの通りが、ふたつのこぶのような坂道になっていることから伊戸川さんがそう名づけて呼び始めたのだそうで、もともとは無名の通りだったのが、いまや「らくだ坂」が人口に膾炙しつつあると伺い、あー、そういえば料理の腕だけじゃなくて、こういう文学的センス、ってだけにとどまらない、ある種のマーケティングセンスも昔から長けた人だったよな、と思い出しました。
今回、突然訪ねたのに、近くの日本酒の名店「燗の美穂」に飲みに連れて行ってくれて、「さし」で飲むのはじつは三十数年のうちで今回が初めて、すごく嬉しかったです。大阪弁が自然にまざる伊戸川さんの語り口に歳月を感じつつ、あの頃のキラっとしたまなざし、変わらないな、インテリジェントな若々しさを今も保っているんだな、とひそかに思っていたら、「わたしのキョドッてるまなざしが当時と変わらない」といわれて、笑ってしまいました。
2件目に連れて行ってくれたのが、店の名前もほぼ謎、、夢の中にしか出てこないような、暗い、細い路地を通り抜けたら、あきらかに人家ではない、ジュラルミンのとびらがあらわれました。
中に入ってさらに衝撃、「うなぎの寝床」みたいな、細長い店ってよくありますけど、ここは、その細長さを潜水艦のなかのように作り変えてあるのです。映画「Uボート」では、細い、せまい艦内の圧迫感が恐怖を底上げしてましたけど、、、ここは、内装はゴツい潜水艦なのに、何か、お母さんのおなかの中に戻って行くような、「ここなら外界の攻撃に晒されず安全」という、深海ならではの、えもいわれぬ安堵感に満たされるような感じがしました。仄暗い店内でお酒を飲む方々を眺めていたら、「ここにくる方々は、ここになんども来たくなるだろうけど、ここのこと、誰にも教えたくないんじゃないかな。」と感じました。いちげんさんお断り、とか、会員制のバーってありますけど、ここはそんなルールがなくても、自然にそうなるようなお店と感じます。伊戸川さんから、そんなお店に案内されたこと自体がめちゃくちゃ嬉しくて、こころの中では踊りを踊ってました。
ここの内装を手がけたのは、気鋭の集団、劇団維新派の美術を担当している方々だそうで、一軒目の「燗の美穂」の素晴らしい内装もその方々が手がけたとのこと。やはり伊戸川さんのようなセンス抜群の人の周囲には、やはりセンス抜群の人たちが集まってきて、それがまた、新しいエネルギーになって、何かを生み出していくんだな、、、としみじみ思いました。
そして、帰宅してから、肝心の納豆をごはんにかけて食べてみました。「大豆は畑のお肉」といいますけど、この言葉には、どことなく、肉より大豆を下にみなすような感じがありますが、らくだ坂の納豆は、肉以上の大豆のほんとの旨味、価値が体現されていて、スーパーで売ってる、わたしがよく知ってる納豆とは、もちろん別物でした。納豆をまぜたとき、まめの周りにねばり気のある泡が立ちますけど、それが器にこびりつくのを、これまではなんとも思わなかったのですが、この納豆は、そのうつわについたねばり気の泡すらもがもったいない、惜しい、思わず器を舐めたい衝動に駆られます。これは、みなさんにもぜひ、体験していただきたい美味しさだな、、なんて、進んで回し者になりたくなるようなお味でした。そして、「ほんとにうまいもの」の例に漏れず、食べると身体に力がみなぎってくるのを感じます。ペンギン村の台所で手料理を振る舞ってもらったあの頃から30年、わたしにとっては、時の流れが凝縮され、熟成された味でもあるのでした。
※「ペンギン村」の名付け親は、最初の住人であった、劇作家の平田オリザさんです。
※文中2軒目の店は「潜水艦bar 深化」というそうです。