呼吸しているだけで幸せな国・ケニアで感じた大切なこと
前回はなぜ私がケニアに行ったかのお話をしました。
記事はこちら→ケニアに行った理由→自分の選択が誰かのパワーになるかも|麻衣子@ケニア|note
今回はそんなケニアで感じたことをシェアします。
たくさん考えさせられることはありますが、大きく心に残っていること。
① モノは決して多くないけど、物質の多さ=豊かさではない
② 豊かさとは心で感じるもの
③ ありがとうの意味
④ 幸せの基準
まず ①モノは決して多くないけど、物質の多さ=豊かさではない
アフリカというと、ついて回るキーワード「貧困」
でもそれって先進国と比べるから物が少ない=貧しいとなるのであって、アフリカはもともとは豊かな国だと感じています。
日本ではモノの豊富さ・便利さ・スピード・高級感で感じられる豊かさがあり、それも大好きですが、ケニアは時間に追われることが少なく、必要最低限のモノがある。モノが無ければ知恵を出して、工夫して、使いまわす。
日本ではオイルやペットボトルなどの使い捨て容器はポイポイ捨てちゃいますが、ケニアでは植物オイル容器は使い終わったら水汲みボトルやじょうろに。
感動したのは公立小学校のケニアンダンス演奏の楽器たち!空き瓶は鉄琴に。パイプは低音ホルンに。オイル容器はギターにだってなっちゃいます!
そんな賢く楽しくリサイクルを楽しむところ。シンプルなケニアでの生活、私はけっこう好きです。
よって、②豊かさとは心で感じるもの だと感じました。
豊かさは決してモノの豊富さで判断するのではなく、心が満たされているかどうかだということに気づかせてくれました。
人とのコミュニケーションから心の豊かさを感じることが多いのもケニア。ケニア人は喜び上手!おもてなし上手です。ホームステイなどでケニア人のお宅にお邪魔すると、いわゆる豊かな国・日本からきた私を誠心誠意もてなしてくれます。家族のように心を寄せてくれる一方、大切なゲストとして気を配ってたくさんケアしてくれます。それはその家族や人の経済力に関係なくです。
割とお金持ちの家庭に行っても、田舎のモノが多くない家庭でも、学生のお友達の家に遊びに行ってもみーんなもてなす気持ちは一緒です。
突然押しかけても、明日食べる予定であっただろう大切なエネルギー源の食パンやチャイを出してもらえるととってもありがたい気持ちになり、わざわざ私のためにありがとーうと、相手の優しい気持ちに感動します。
以前ケニア人のお宅にホームステイした時、夕方、近所に住むママの弟さんが挨拶をしに来てくれました。色々話して帰る間際、「明日の朝、何食べたい?」と聞かれたので「マンダジ(揚げパン)。チャパティ、ゆで卵が好き!」と答えたら翌朝ぜーんぶ持ってきてくれました。ソーセージもプラスして。
ママの朝ご飯と弟さんの優しいダブル朝ご飯で心は満タン♡ 胃はパンパン!
おもてなし上手なのは心の距離が近いからだと思います。広―いアフリカは隣近所との距離はそんなに近くないのに心の距離は誰でも近い。
ケニア人の友人と街へ出かけた際、知り合いと盛り上がって話してるなーと思ったら「知らない人」というパターンが多いです。
東京に住んでいる私にとって、普段外出先で知らない人と声を掛け合って話すなんてことは稀。狭くて人が多くて隣の人との距離は近いのに、心は遠い感じ。もちろん困っていたら助けてもらったり、助けることはありますが、何もなければ見知らぬ他人。
心を寄せてもらえると、あたたかい気持ちになったり喜びを感じる。そんな時間が心を豊かにしてくれます。
③ありがとうの意味
ケニアは停電や断水がたまにあります。
電気がないとパソコンも使えず、ネットも繋がらず、ホットシャワーも出ません(ケニアは朝晩冷えるので水シャワーは修行)。停電の時はガスでお湯を沸かしてバケツにいれてそこから汲んで浴びます。
夜に電気が点かず、暗い中過ごすのは結構寂しいです。
断水の時は貯めておいたタンクの水を使います。復旧したときはたまらない安堵感。みんなで手をたたいて喜びます。
でもケニアには電気もガスも水道も無い家庭がいっぱいあります。ちなみにケニアの水道普及率は15%(首都ナイロビ:55%、乾燥地4%)
日本では「今日電気あるかなー」とか「止まりませんように」など何の心配もなく無意識に電気を付け、蛇口をひねれば水が出るのが当たり前です。
またケニアに来てから、現地の知り合いの家族・親戚・知り合いがなくなったという悲しい知らせを日本より耳にします。交通事故だったり、病気だったり。そして私と同じ30代や、それより若い20代以下も少なくありません。
ケニアは交通量が多く、運転マナーを守らずにスピード違反する車も多かったり、ヘルメットをする習慣が無かったり。事故にあってしまったら救急車は日本のように早く到着しません。医療技術も日本ほど高い病院は極々わずか。
家族・友人が元気に周りにいてくれること、その有難さ。
「有難い」とは「有ることが難しい」って書くことに10年前くらいに気づきました。
どんなことも、当たり前のことじゃない。そういった考えは東日本大震災以降よく聞くようになりました。
それはそうだと頭では分かるけど、実体験で「身をもって理解」できた。
確かにすべては容易に存在するものではないと。そんな感覚でした。
きっと「ありがとう」もそこから来ているんだろうなと気づきました。当たり前にしてもらえることじゃないから「ありがとう」かな。
⑤ 幸せの基準
良い意味で幸せの基準が下がりました。それってすごく幸せなことだと思います。
日本のように何でも便利で、何不自由なく生活できる環境ではありません。そんな中だからこそ、ちょっとしたことで幸せを感じられます。
◇毎日3食ご飯をいただけること
◇たった20円のマンゴーがとろけるほど美味しいこと
◇停電が無くて仕事が捗ること
◇NPOのインターン生がお土産に日本のお菓子を持ってきてくれたとき
◇素敵な中古服を200円で買えたとき
ささやかなことでも大きな喜びをたくさん感じられる幸せは、ケニアで生活しないと感じられなかったことです。
陽気な人たち(ケニア人・ケニアにいる日本人含め外国人も同じく)喜びをシェアして盛り上がれるエネルギッシュな国。赤道直下で太陽はいつでもキラキラしている。雨季には緑が眩しく、野生動物などいろんな生命がいきいきと過ごしている。
理屈抜きに「呼吸しているだけで幸せー」と感じるケニア。それは日本での生活が恵まれすぎていて鈍感になっていた私に、たくさんの大切なことを教えてくたから。