海外生活の始め方 出会いを大切に生きる 00005
こんなど素人が書いている記事にスキをしてくれる方
ありがとうございます:)
まだまだ少ない閲覧数ですけど
心折られないように地道に続けていけたらな と思います:)
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さて あっという間の1週間が過ぎ
興奮冷めやらぬまま 帰りの飛行機に搭乗
帰りたくないなー なんて思いつつ
やはり当時17歳
母の味が非常に恋しく
若干のホームシック
もう帰りの飛行機に乗っているんだが 笑
飛行機の窓から見えるアメリカの夕暮れを見ながら
隣の席に誰が座るんだろうとワクワク
しばらくすると
またもや日本人女性が横に着席
そして やっぱり
"若いのに一人でアメリカ? すごいねー:)"
なんてところから会話が始まる
嬉しい 笑
こちらの女性の名前はショウコさん
アメリカに1ヶ月ホームステイしながら語学学校に通っていたらしく
いろいろな話を聞かせてくれた
"また高校卒業したらアメリカに戻ってくるの?"
と聞かれ
もちろん!!
と答えたいところだったけれど
当時高校生ながらアメリカに住むためのビザなどを調べてみたところ
学生ビザは比較的取りやすい
が
就労が許されていない
ということは
1. 親に渡航費やら学費、生活費を出してもらうか
2. 高校卒業までに死ぬ気でバイトをして貯金しまくるか
最初の案は
私の家庭は引くくらい貧乏で
今回のこのホームステイも バイトで貯めた貯金からほぼ全額絞り出して
無理矢理行ったくらいなので 親からの支援は可能性ゼロ
ということで断念
2つ目の案は
高校卒業まで残り6ヶ月 どう足掻いてもアメリカでの学費と生活費を稼ぐなんて現実的ではないから絶望的
という話をショウコさんにすると
"どうしてもアメリカじゃないとなの?" と聞かれ
よくよく考えてみたら私の頭の中では
英語を喋る国=アメリカ になっており
それ以外を全く考えていなかった
英語圏なんて世界中どこにでもあるのに
やはりそこら辺は田舎の高校生 世界観が狭すぎた:)
すると立て続けにショウコさんが
"ワーキングホリデーだったら学校に行きながら自分で働いて生活費も自分で稼げるよ?"
と一言 いや二言
この言葉が私の海外生活を決定付けてくれました:)
頭の中は
ワーキングホリデー?????
と初めて聞く横文字にハテナだらけだったけれど
現地で働ける という言葉が魅力的すぎて
半ば諦めかけていた海外生活に希望の光が差し込み始めた瞬間:)
それからぐっすり寝たかったであろうショウコさんに
質問攻め:)
ただひたすら
質問 質問 質問
それでも最後まで答え続けてくれたショウコさんに感謝
そして
すみませんでした
アメリカでの興奮と
新しくワーキングホリデーという海外生活への希望を知った興奮で
寝れずに日本の空港へ到着
ショウコさんに感謝と別れを告げて
東京で買い物なんてものはすっ飛ばして
田舎の我が家へ帰宅
相も変わらずのボロッボロの貧乏丸出しの我が家だったけど
ものすごい安心感と達成感で即就寝
次の日は朝から親にアメリカはあーだった こーだったと
マシンガントーク
そして 親が不意に
"高校卒業したらどうするの?"
と
私は待ってましたと言わんばかりに
ワーキングホリデーという制度があると 力説
これなら最初の渡航費と少しの生活費さえあればあとは向こうで稼げるから
高校卒業までにしっかりバイトして貯金するから
とアドレナリン任せに 力説
それならと 親も快諾
本当にいい親の元に生まれました:) 幸せ者です:)
こうして自分の中での進路も決まり
残りの高校生活最後の夏休みは
バイトと遊びに明け暮れて終わって行きました:)
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こうやって記事を書いていると色々と当時のことを思い出して
考えさせられるものがあります:)
あの当時の私の行動力、初の海外生活への道中帰り道で偶然出会った方々の言葉、そして何より親の心の広さがなければ海外生活なんて夢のまた夢だったでしょう:)
よく海外生活してるなんてすごいなー
とか言われますが
一度日本の外に出てしまえば 日常生活のただの延長線上
わかりやすく言ったら
大学卒業して上京 いや 関西行く? 北海道? それとも海外?
的な感じです:)
わかりにくくてすみません笑
けどこれは一度海外で生活してみないと
外野からあーだこーだ言われたところで多分わかるわけもありません
なので海外生活っていいなーと思ってる方がもし読んでいてくれたら
一言ここに残しておきたいです
馬鹿になって 英語云々、将来云々忘れて行っちゃえ
と
少々雑ですが 以上:)
読んでくれてありがとう:)
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