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そこに愛はあるのか

キッチンカーの準備と称して
お店はしばらく他の人にお願いして少しお休みすることに。

休んでいるとはいえ、毎日準備があるわけでもないし
無職では困るので
何十年かぶりに単発のアルバイトをしてみた。

けど、情けないかな続かない。
続けようとも思えない。

相手からしたらそのラインを埋めてくれれば誰でもいいわけで、
制服に名前もない。
呼ばれる時も「ちょっとそこの人!」って言われ、長く働いてあるであろうベテランっぽいおばちゃんにマウントを取られ、
モチベゼロでその時間だけを働く。

お店を開業した時、
「もし、店がうまくいかなくなって、借入が返せなくなって、店をたたまないといけない時が来ても、皿洗いでもなんでもやって返していくから頑張る」って思ってたくせに
この情けなさよ。

店をやる幸せを改めて感じた5ヶ月間だったわけだけど、
今日自転車で帰りながらふっと思った。

続かないのは根性なしだが
そこに愛はあったのか。
自己弁護だけどそんなことを考えた。
だって、モチベゼロの中でも時折「明日もとりあえず頑張ろう」と思えた日はあったわけで、それって最後に交わされた言葉や態度で変わったから。

今日、カフェの開業希望者と話をした。
彼女の思いは理解できるし、共感することも多かった。
そもそも、彼女と話をすることになったのも一期一会だ。
その時間1分1分を彼女の気持ちを考えて話したいと痛感した。
愛をもって臨みたいと。

最近、飲食店のオーナーさんの嘆きの投稿をよく見かける。

飲食店とお客様の関係なんか、愛そのものだ。

真実はわからないから断定はできないけれど、
愛を持って接している相手に、愛を持って返されないと嘆きになるんだと思う。
そういう私も、ほんの数年前はそうだった。
全身全霊をかけて作った店を、都合良く使われ、荒らされたように感じたこともあった。

そこに愛はあったのか。

話の毛色は変わるけど、
今朝、娘に言われた。

「ママの朝ご飯食べたあと散らかっている」と(笑)
まあ、バタバタと出ていく前だし、自分ではある程度は片付けているつもりだったので「一応さっとは片付けているつもりだけどな…」って言ったら

「次そこでご飯食べる人に対する配慮だよ」って言われた(笑)

私もそこに愛はあったかな。

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