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続けているという存在意義

駅前ということもあり、私のお店の近くには大小さまざまのカフェ、喫茶店がある。
私のお店から徒歩5分圏内だけでも私のお店を含め5軒ある。

その中の1軒のお話。

古いビルの1階にあるその店は年配の御夫婦が営んでいるお店だ。
正直、お客様が多く入っているのを見たことがない。
昔から続いている喫茶店。お店をオープンする前に、市場視察と称して一度だけ入ったことがあるが、雑然とした店内にはオーナーの私物と思われる荷物が積み重ねてあったし、ランチやコーヒーがことさらに美味しいとも感じなかった。未熟な私は、自分のお店のライバルにならないと思った。
そんなにお客様が押し寄せている風もなく、営業時間も午後7時までなのになぜか夜10時を超えてもオーナーがいらっしゃるので不思議に思ってよく見たら、カウンターでテレビを見てらした。

けれど私がお店をオープンして、うまくいっていた時もいかなくなった時も、コロナの時もその店は変わらないままでそこに存在していた。
自分の店とは違うけれど、毎日前を通るからなのかなぜか気になっていつもそっと中を覗くと、見える風景はいつも同じだった。

それが10日ほど前の夜、前を通るとお客様でいっぱいで開け放った出入り口から賑やかな声が聞こえた。
同窓会でもやっているのだろうかと思いながらいつものように帰途につき、
次の日前を通ると
「閉店しました」という張り紙がしてあった。

36年も続けていたのだそうだ。

私は一体そのお店のどこを見ていたんだろう。

たいしてお客様が入っていないように見えたけれど大間違いだったんだと思う。
いつ何時も店を好きでいるお客様がきちんとついていなくて、36年も続けられるはずがないのだ。
しかも御夫婦でされているということは、喫茶の収益だけできちんと生活もできていたのだから。
私は目先の風景だけに囚われていただけだったんだと思う。

カフェや喫茶業界は10年続けられるのがほんの一握りと言われている業界だ。そのなかで30年以上存在している事自体がすごいことだ。
それだけでも価値のあったことなんだと思う。
でなければ、お店の最後の営業終了後にあんなに多くのお客様であふれかえるなんてこと、ないと思うから。

少なくともひよっこの私のお店では、今は考えられないから。

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