障害者雇用10年めのつまづき~発達障害を持つ豆黒の場合~
10年働いた職場、病休明けに居場所がなくなっていた。戻ろうとした7か月の苦しい頑張りも実らず、もうギブアップです、と会社に辞表を提出。
(正確な言い方をしようとするので、今回は「のようです」「らしいです」という言い方が多くなります)
まず、ボクの軽度の発達障害、障害特性は。
分からないことが分からない、なので、分かることも分からない。のようです。
出来ること、出来ないことも、分からないようです。
そんなボクの自分の知り方は。客観的に自分を測定する方法。
テストを受けるとか、実際やってみてどうだったかとか、ヒトの評価から・自分の経験から知る方法。
算数のテストで70点くらいをいつも取っていたら、ボクの算数の能力は70点くらい、らしい。
「この仕事できる?」と聞かれて、最も正直で誠実な答えは「分かりません」・「やってみないと分かりません」。
仕事をやってみて、出来なかったら、出来ない。出来たら出来る。出来たとしても、一か月間仕事からのダメージが続くこともある。そのダメージの原因が仕事だとすぐに分かることはまず、ない。
最近、なんかしんどい、この間なんかしんどかった、なんで?と、いう場合。
人とのやり取りから、どうやらこの仕事がボクにダメージを与えていたようだ。ようやくわかるのは、その仕事終わってから一か月後・半年後・一年後・十年後・もっとか、一生の謎。
スーパーのインストアベーカリーで働いていた。
リーダーが辞めたばかり。頼りの相棒も、短時間勤務になった。
代わりに長時間になった人、仕事はできるが、長時間になりたて。フォローしたり、安心させようとしたり、疲れるだろうからもう仕事終わったよと早く帰したり。
そこにピザ窯導入、毎週の広告の品も飛び込んできて継続。
精神科デイケアのリーダーとして、皆がついてきた経験から、皆が嫌がる仕事、やらない仕事はどんどん自分が受け持った。
デイケアでは最終的にスタッフがいたことを、その時は考えていなかった。
思いが強すぎて、体と心がついてこない。
am5:30にパンを焼きに出勤。睡眠剤を飲むpm6:00過ぎても残業。
落ち着いても、広告の品の負担は毎週。クリスマスなどイベントがあれば追加で。
さすがに悲鳴を上げた。
仲間からは「何が大変か分からないから紙に書いて」と、言われたこともあった。
そこは上手に助けてもらうことができないボク。
そのまま燃え尽き一歩手前で、病気休暇一か月。
病休明け、仲間はいつも通りのシフトを作ってくれていた。
しかし、会社からストップがかかる。
ボクは病休直前に、ある問題行動を起こしていた。
「今、ベーカリーは戻れる空気ではない、仲間は怒っている、信頼を取り戻すまでは一人きりで作業してもらう」と、会社から言われ、人がいなくなった厨房で掃除など2時間で終わる仕事を割り当てられた。
大好きなベーカリー、仲間と働きたい、先の見えない仕事を7か月間続けた。
店長にいつ戻れるか聞くたびに「あと数か月」と、答えられる。
もう無理。ギブアップして辞職。
理解するのに時間のかかるボク。
失業から1~2週間経って分かってきたこと。
ベーカリーにはボクのことを嫌っている人がいたようで。
「神経質でいや」「廊下ですれ違いたくない」と、言っていたらしい。
人の気持ちを変えるのは不可能。
ベーカリーには最初から自分に居場所はなかった。
7か月の苦しみの原因の人と、同じ部署で働く。
やりづらいでしょう。
ベーカリーは今でも大好き。ボクは皆のこと今でも全然嫌いじゃない。
会社から説明・弁明・謝罪、いまだにない。もう、されることもないだろう。
まぁ、ボクの結論としては…。
「終わったことだから」。