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団栗を手に~障害者雇用10年めの辞職~

団栗を手に鳥の群朝日へと 豆黒

説明:手の中には団栗(どんぐり、秋の季語)、空を見上げると鳥の群れが朝日へ向かって飛んでいきます。手の中の団栗、ボクの握っているなにか。鳥たちも朝日へ向かいます。

スーパーに障害者枠で就職、三十代で初めて働く経験をしました。最初は青果コーナー。その後、九年をインストアベーカリー、スーパー内のパン屋の部署で働きました。

一人めのリーダーの、僕への印象は「パン好きです!」。ボクはやる気に満ちていたそうです。

三か月もたつと、パン専門店で修業したリーダーの厳しさの本領発揮。厳しい指導の日々。当時の副店長に「いつもこんなに厳しく言われるんですよ~」と、ボクは訴えます。

副店長、「考えてほしいんだけど、どうでもいいやつにそんなこと言うか?」。考えてほしいと言われたので、今まで使ったことのない頭を使って一生懸命考えます。

そして気づきました。ボクは「愛のムチ」のムチに怯えてばかりいました。愛に目が行くようになってから、期待に応える、認めてもらうため、仕事を頑張りました。ほかの人のしていた食パンのスライスの仕事を奪い、毎回時間を記録。どんどん早くなり、リーダーから「ベーカリーで一番早いよ」と認められました。

二人めのリーダー、年上だけど、かわいい方でした。すごく優しい。そしてすごくウルサイ。美人です。

仕事のできる方で一生懸命。ボクにもビシバシ。同じくリーダーの下で頑張っていました。

パンの成形(生地を丸めたり、切ったり、発酵させて焼く前の形づくりの工程)が出来るようになりました。「エア練り」、練習は毎日。

そのリーダーにLINEで、乱暴にも告白をしてしまいました。

怒りを買い、LINEはブロックされました。部署を変わるようにも言われました。

ボクはよく問題を起こしてきました。その時の解決策もいつもと同じ、「仕事で取り返す」です。「ベーカリーのために一生懸命働く」と、心の中で唱えながら必死に働きました。

そのリーダーの指導で、何とか窯の焼きも覚えました。

衛生審査も失点をしたポイントをボクが記録、つぶし続けて、満点や首位を取り続けました。

その方が辞める時に、贈り物と手紙を頂きました。

なぜかペアのかわいらしい(「こういうの(陶器)好きでしょ」、と)陶器の箸置きと、お手紙。手紙にはここまでボクが成長するとは思っていなかったこと、ボクには暴走するところがあるから、皆と足並みそろえて仲間からはじき出されないように気をつけて、と書いてありました。

その後、ボクは自然な流れで職位昇格試験を受けました。テストに合格したのと、ベーカリーの仕事が一通りできるから、と、店長・副店長から昇格を認められました。

二人めのリーダーがいなくなって、長時間のパートは僕ともう一人のAさんというおばちゃん。

Aさんは皆のまとめ役、厳しくも優しくもあり。あと、余計なこと言うとAさんもかなり綺麗な方です。厳しく指導されました。同時に、「これどうする~?」と聞かれ、共に働きました、よき相方、相談相手でした。心強い方です。

二人めのリーダーがいなくなり、発注作業はすべてボク。生地、副材、資材の発注。POP、仕様書作成。本部との連絡。PC作業も得意な僕がやります。

昇格したこともあってかAさんからは、ボクのこと「リーダーだと思ってるから」と。

頼もしかったAさんは、年もあり、短時間のパートに転向。代わりにBさんが長時間。

Bさんもすごく仕事のできる方です。でも、初めての長時間。知らないことだらけ。教えたりフォローしたり、安心させようとばかりボクはしていました。仕事も疲れるだろうし、早く帰ってもらい、負担も少なく。

そこへきて今までになかった仕事。広告の品の製造と、ピザ窯の導入。

PM6:00に睡眠剤を飲んで寝る僕が、AM5:30に焼きに出勤、PM6:00過ぎても残業の日々。

精神科デイケアでのリーダーの経験からなのですが。みんながやりたくない仕事、ためらう仕事をボクは一番にやっていました。それでみんなは自然とついてきてくれました。

仕事も同じと思い、どんどん仕事を引き受けました。デイケアでは最終的にスタッフがやってくれていたこと、仕事ではそうではないことに、気づかないままに。

やがてひとりで抱えきれなくなり、悲鳴を上げます。

皆は、「大変って言っているけど、どう大変か分からないから、やってることを教えて」とボクに助け船を出してくれたこともありました。

でも、ボクにはそこまで出来なかったのです。「ボクにしかできないから(そう思っていたかった)」、「皆には完ぺきにはできないから(完ぺきにできていると思いたかった)」。そう思い、申し出は受けず。一人で背負います。

しかし、とうとうメンタルで燃え尽きてしまいました。一か月間の病気休養。

休養明けに待っていたのは、皆が帰った後の作業。翌日の成形作業と、生地だし、掃除、売り場整理。2時間で終わります。

皆とは休養から仕事を辞めるまで禁止だらけ。顔を合わせること禁止。業務以外の連絡禁止。グループLINE禁止。個人LINE禁止。

連絡は店長・副店長のチェックの入るファイルに業務上の連絡のみ。余計なことを書いたら、切り取られ、書き直しです。

皆の中にボクと「廊下ですれ違いたくない」「神経質でいや」という人がいて、仲間で仕事をすることがいつの間にかできなくなっていました。

仕事を抱え込み、できなくなったら投げだすくせに、自分にしかできないみたいに思いあがっている。チームワークには毒のような存在です。

復職後、「信頼を取り戻したら皆の中に戻れるから」と会社から説明を受け、皆と働きたい、午前に戻りたい一心で、頑張りました。

でも、もう、無理でした。7か月頑張りました。その間、すごく苦しかったです。僕のことを嫌っている人の気持ちが変わることもなかったです。

一昨日、キャリアセンターの方と面談。「君に能力があることはわかるよ、でもそれは人間関係次第なんだよね」と。

昨日辞表を提出。

最後まで、ベーカリーは大好きでした。

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