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最低で最悪なお酒での失敗談

画像は全く関係ありません
世界で一番好きなお鮨屋さんで特に愛している「芽ネギ」のお鮨です


今まで両手両足くらいの数はお酒を
飲み過ぎて、記憶がなくなる、まだらになるという経験がありますが戒めの為に最悪の失敗を記しておこうかと

まず私の父はアルコール依存性でした

様々な悩みを抱えて休みの日は一日中呑んで、酔いつぶれて、月曜日の朝仕事も行かない、
なんて事も日常茶飯事でした

パンチで玄関のガラス割ったり、近所の居酒屋出禁になったり、家族や親戚に迷惑かけたり

もう10年くらい前に亡くなりましたが、
亡くなる前の20年くらいは断酒していました

そんな父の姿を物心ついた時から見ていたので、お酒は飲んでも、絶対人には迷惑をかけずにおこうと強迫観念のように思っていました

私の弟は同じ父の姿を見ていて「なんであんな姿みてるのに酒なんか飲むん?」とこれまで
酒を口にしたこともありません

さて前置きはここまで

最低の失敗は会社での飲み会でした

その頃は頻繁に飲み会があり、比較的お酒が
飲める体質の私は盛り上げ役としても、
よく飲んでいました

上司がついでくれるそぶりを見せたら、コップやおちょこを自主的に飲み干し「頂きます」
と両手で必ず頂戴していました

酔わないようにしよう、最悪、リミット近くになったら、トイレで口に両人差し指突っ込んで、リバースすれば、だいたい事なきを得て
ました

その日は同業他社から転職してきた年上の方を交えて、初めての会社の飲み会でした

その方と同じテーブルで、私の隣には当時、
お互い少なからず意識し合っていた(多分)
Wさんもいました

で転職してきた方から絡み酒くらいました

多分

記憶が無くなる前に相手が言い放った言葉だけ今でも覚えています

「どうせ素人童貞なんだろう」と嘲るように

当時23だったか図星でした

隣には意中の相手が座る中、何か言い返したかも覚えていません

そこから目の前の鍋に自分の携帯を放り込み
(やってはいけません)ブラックアウトしました


……目が覚めると点滴の紐が見えました


急性アルコール中毒で救急車で病院に運ばれていました

ベッドの右側にはお母さん、左側には断酒をしたお父さん………

うわぁ……最悪のドルビーサウンド

枕元には袋に入った壊れた携帯電話……

数時間後、点滴が終わって帰りました

母からは「私達が来るまではWさんという方が付き添ってくれていた」と聞きました……うわぁ

父も母も私を責めませんでした、気をつけられ、とだけ言われた気がします

飲み会は金曜日だったので、週明け会社に
行って上司に呼び出されました

「Wが泣きながら無理な飲み方をするなと言ってくれ、と言ってきた これからは気を付けるように」

……あー、色々終わったなー、と思いました

それからWさんとも溝ができ、その三ヶ月後
くらいに、覚えてもないような理由を付けて
退職しました

ホワイト企業だったんだよなー、あそこ上場
してる


という事であれが無かったら、人生どうなっていたんだろうな、と思う最悪の失敗でした

結果として転職先でも充実した時期もあり、
も一度、転職して今の仕事環境も満足しています、不満はあるがな

この流れが無ければ絶対に出会わなかった、
今の大切な方々もいらっしゃるので、
今となっては、あの場で必要な経験だったのだろうと振り返っています


ただ断酒している父親、そんな父に迷惑を被ってきた母親にお酒でぶっ倒れた姿を見せてしまい、どんな心境だったのか、思い出しても
冷や汗がでます


という訳でお酒は素敵なコミュニケーション
ツールですし、美味しいですが、何かあったら
人生変わるよ、というお話でした

用法·用量を守って適度に楽しみましょう
(お前が言うな)

熱燗のがぶ飲みは死ぬよ、気をつけて


何かご不快な思いを与えてしまった方が
いらっしゃいましたら、申し訳ありませんでした

戒めとして残しておこうと思います

今回もお読み頂きまして、ありがとうございました

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