【④伝えてみる】我が家の宗教対立

◇◇宗教対立シリーズ◇◇

【①聞かされる】
イスラム教についてこんこんと聞かされる日々(興味・恐れ)

【②否定される】
神社に行こうとしてバトって、宗教の話題を出すのはもうやめようと思った話(屈辱・諦念・意地・嫌悪)

【③切り込んでみる】
調子乗って色々質問してみた話(兆し・探り)

【④伝えてみる】
自分の死生観と生まれた意味について思ってることを伝えてみた話(勇気・肯定・雪解け)


前回の話で「もし地獄に行っても俺が助けてあげるし、なんなら一緒に逝けたら一番いいんだけど」という、最大限に彼の愛を感じられる言葉を受け取った私

なんて宗教だ!絶対ほだされてたまるか!とバリアを張り続けていましたが、このデケェ愛になんだかそれも溶かされちゃいました(もちろん氷山の一角だけですが)。笑

「私が異教徒のままでも、
地獄に落ちてしまうような人間だったとしても、この人は私を救おうとしてくれるのか。。私、すごく愛されてる。。(⁠´⁠;⁠ω⁠;⁠`⁠)」


このデケェ愛が心地よくなり夜の雰囲気にも呑まれて、普段の会話では重すぎることをこの夜吐露させてもらいました。

『私、生きるのに執着がないというか。
タヒぬのも怖くないし、いつタヒんでもいい。別に積極的にタヒにたいわけじゃないけどね。
一応生かされてる身だし。

生かされてるから生きてるけど、生きるにはこの世はなんて辛い。
だからいつタヒんでもいいと思ってる。

でもね最近、
幸せを感じる瞬間だけは、生きてるのも悪くないかもって思うことに気付いたの。

だからきっと私は、
幸せを感じる瞬間々々のために生まれてきたんだと思う。

そうしてこぼしたサムい本音を、夫は真面目に受け止めてくれました。



「そうだ、君は幸せをたくさん受け取っていい。君は幸せになるために生まれてきたんだよ。」




ありきたりな言葉かもしれませんが、相手を信じて伝えてみたら、肯定してもらえて。


バカにされて傷つけられた溝は一生埋まることはないし、夫婦間の宗教問題が丸く収まる日が来るとも思いません。

一生平行線だろうなー、、、と他人事のように達観している部分もあります。

それでもこの夜は確かに、傷つき怒り立っていた心が癒され、自分の中で何かひとつ、終わりを迎えることができた夜でした


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