忘れられる という幸せ✨
数年前に上司からふとした時に言われて
とても衝撃を受けた言葉だった。
人が生きていく上ではとても大切なことなのだという事も同時に教わった。
その当時のそれまでの自分の中には
全くなかった考え方というか
そんなこと自体を意識したり考えたりしたことも無かったかもしれない。
忘れられるということは幸せなことだ
その言葉を聞いて衝撃を受けたそれからは
何かしらことある事に思い出し
そして
だんだんだんだんと
ほんとにその言葉のとおりだと
どんどんどんどん実感することとなっていった。
確かに
昔の辛かった事や悲しかった事
それらを全て忘れられずに居たら
ずっとずっと辛く悲しいままで
ましてや忘れられないとなると
それはどんどん蓄積されて
いつかきっと押しつぶされてしまうだろう。
忘れる事が出来るから
また前を向いて歩いて行く事が出来るのだ。
なんて
そういえばなんとなく
どこか何かの本や人が言っているのを
見たり聞いたりしていたような
そんな気もしないでもない。
だけどその事については考えたり気にしたりすること無く過ごしていた中で
何故かその時の私にとっては
何故かしらとても衝撃を受け忘れられない言葉となった。
そしてその後からは何故か分からないけれど
次から次へと
その 忘れられる幸せ✨ ということを実感させられるといった出来事が
わんさかわんさか目白押しとなり
そうなってしまうともう
ほんとにそうなのだと思うしかなくなり
今ではそれをとてもありがたく思えるようになり
またそして楽しめる様にもなってきてた。
もちろん現実問題として
年々物忘れが多くなってきている。
そのことは自体は自分としてはどうにもならないと思う一方で
これはもしかしたら
神様からのプレゼントなのではないだろうか
そう思うようになってきた。
神様はきっとそうなるように創造してくれたのだ。
はたまたある人の話では
生まれてくる前に自分で人生のシナリオを描いて来ている
とも聞いた事がある。
だとすると
忘れることが出来るようになっている自分を楽しめたりありがたく思うようになったということは
神様からのプレゼントをとても素直にそのまま受け取らせていただけている
あるいはシナリオ通りに歩んでいる
ということなのだなと思えてきて
さらにとても嬉しく思い
愛おしく頭を撫でたり抱きしめてあげたくなり
とてもとても幸せな気持ちでいっぱいになるし
ほんとに心の底から
嬉しい楽しいありがたい
そんな気持ちがどんどん湧き上がってくる。
時には
ほんとにあまりにもの嬉しさで
笑顔と笑いが抑えきれずにいる。
周りに他人が居ようが居なかろうがお構いなしに笑いと笑顔がこぼれてしまう時もあるくらいだ。
まぁ他人にとっては
変な人だと思うかもしれないけれど
怒っているのではなく笑っているわけなのだから
なんか分かんないけど楽しそうで良かったね
と言った具合にでも思ってもらえたり
ほっておいてもらえたりする方が
かえって皆んなが幸せになるような気がする。
年々物忘れが激しくなってきたと言うと
多くの人はなんだか悲しいマイナスなイメージを抱きそうであるけれど
忘れられる幸せ✨ と捉え方ひとつ変えるだけで
どれほど心が楽であろうか。
出来れば
若かりし頃にいろいろ思い悩んでいた自分に
早く伝えてあげたいなぁ〜(◜ᴗ◝ )
だけど
あの時のあのいろいろな経験があったお陰様で
今はこの様に思えるのかもりしれないし
そしてそれこそそういったことも含めて
生まれる前に描いたシナリオ通りなのかもしれないと思うと
もう笑うしかないよなぁ〜(◜ᴗ◝ )
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