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【小説】『風の二番地から』2

 退屈だ。
 うちの店は朝7時から開くけれども、私は通常、朝のピークも過ぎた10時以降に出勤することが多い。
 ランチタイムに入ると、まぁまぁ忙しくて時間が経つのも早いけど、結構、暇な時間も多い。暇になると店の掃除を含めた雑用をやらされるので、どちらかと言えば忙しい方がいい。
 だけど忙しいのも、疲れる。
 だからあんまり働きたくないんだけども、何もしないで、じっとしているのも、やっぱり疲れる。
 人生、最大の矛盾だ。
 この問題を人類が解決出来たら、全ての問題が吹き飛んでしまうような気がする。
 ちょっとうろちょろしたい。お客さんに水でも運んでこようかしら?
 そう思っていたら加山さんがさっさと行ってしまった。彼女も私と同じ事を考えていたらしい。
 「ふう」
 「六回目だな」
 「今日、岡田さんが店に来てからため息ついた数だよ」
 呆れた。
 この人はこうやってずっと人がため息つく回数を数えていたのかしら?もうちょっと気の利いたちょっかいの仕方が出来ないのかしら?
 彼、藤田クンは私より一つ若い二十二歳。ここの店は私より長くて、もう一年近くいるそうだ。
 ヒョロヒョロとしてて、ガリガリッとしてて、眼鏡をかけてて、ちょっと病的で(それは私の偏見かしら?)初めから私のお気に入りではなかった。
 さっき、私の機先を制してお客さんに水を運びに行った加山さんも、彼の事はあまり好きでないらしい。悪い人ではないけども、私は彼の一挙一句に苛立ちを覚える。一々彼に構っていたら、それこそ冗談ではなく本気で発狂しかねない。
 それでよくここの仕事もってるなーと思われるかもしれないが、それは単純に他の仕事を探すのがメンドーだからと云う理由に過ぎない。
 それに私の出来る仕事って限られている。大学出た訳でもないし、特に資格持ってる訳でもないし、人付き合いなんか全然良くないし―そんな私がようやく見つけた仕事が、ここの喫茶店のウエイトレスだった。だから私は取り敢えずこの仕事に満足する事にしている。
 だからって言って今の自分に満足している訳じゃない。
 ちなみに私はプライドがとても高い。
 前に友達と占いの本を読んでいて、その人のプライドを表すコーナーがあった。それは「あなたの前に壁があります。どれくらいの高さでしょう?」というものだったけども、私は「天高く、雲を突き抜ける程の壁」と答えた。
 実はその高さが、その人のプライドを表すものだった。だから私のプライドは「天高く、雲を突き抜ける」程高いのだ。
 それはひょっとして、私の両親に由来しているものなのかもしれない。
 私のお母さんはものすごく勝手な人だった。
 私が服を欲しがっても、自分の服ばかり買い込んで、私の分はいつも後回しにされた。その服も、私がこれ、と云う服は絶対に買わないし、買わせない。だから私はスーパーのレジのバイトをして自分の欲しい服を買った。
 食事だって、いつも冷凍食品や、既に作られたお惣菜ばかり食べさせられた。
 私が家でそういったものを食べている時、彼女はカルチャーセンターの友達と、いつも外で美味しい料理を口にしていた。
 そんなお母さんに、私は随分文句を言った。でも彼女は一度だって、私の話に耳を貸した事はない。逆に言えば言う程、傲慢さは増した。そのうち私は彼女に文句を言う事をあきらめた。
 だから私が彼女から教わったものは何もないと思っている。彼女にとって大切なのは、自分自身なのだ。自分さえ楽しければ、私や家族の事などどうなったっていいのだ。だから私は高校を卒業するとすぐに家を出た。
 だけど家を出る時、少しだけ後ろ髪を引かれる思いがあった。それはお父さんの存在だった。
 お父さんはほんがとても好きだし、映画もよく観る。
 小さい頃から、私はお父さんに連れられて、よく映画を観に行った。私はどんな映画でもお父さんの後をついて行った。
 お母さんは休みの日になると、完全に私の事はお父さんに任せっきりだったし、私もお父さんと二人っきりになると何故か心が休まった。だからお父さんが行く所なら何処でもよかった。
 なるべくお父さんは、私が飽きないような映画を選び出して連れて行ってくれたけれども、全然訳の解らない大人の映画も時たまあった。でもそんな映画は大抵が風景のきれいな映画が多かった。私はその風景に心休まった。子供の私がどんな映画でも我慢して観られたのはそれがあったからかもしれない。
 そのうち普通の子供が観るような映画じゃ物足りなくなって、お父さんが勧めても子供向けの映画は観なくなった。私は映画を観ながら、お父さんと一緒にスクリーンの風景に溶け込みたいと子供心に思った。
 だけれども私が思春期を迎えると、お父さんと外出する機会も当然のようになくなり、私の映画館通いもそこで終わる。私にとって映画とは、お父さんがいて初めて成り立つものだった。だから学生時代から今に至るまで、めったな事では映画館に行かない。
 でもたまに店でボッーとしていると、目に映る景色がまるで映画のワンシーンのように見えてきて、ふと、お父さんに連れられて映画を見まくったあの頃を思い出す。
 映画自体はあまり覚えているものなんてないけれども、風景だけは断片的に覚えていて、ハッと脳裏をよぎる事がある。
 その中でもある風景が私の心を離さない。一体何て云う映画の風景なのだろう?荻の穂が揺れる一面の草原。ゆるやかな流れの大きな川が、近くを流れている…。

 「岡田さん」
 藤田クンの声でハッとして、店内を見渡してみたら、そろそろ店が込み合ってくる時間。私はあわてていつものように動き出す。
 加山さんのストレートロングの髪がサラっと流れて、私も髪を伸ばそうかしら?とふと思う。

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