
駐在社員と現地社員の間の壁と、その中にあるもの
東南アジアのある国の日系の会社で働いたことがあります。
その会社には、現地出身の社員のほか、4人の駐在社員と4人の日本人現地社員がいました。
表向きは和やかです。日本人同士なので会話も日本語です。久しぶりに日本の職場を見て、なんか柔らかくていいなあ、と感じていたのを覚えています。
しかし、裏に入ると、お互い反目し合っていました。駐在社員は現地日本人社員の悪口を言い、現地日本人社員も駐在社員には不信感を持っていました。
その会社にはいくつかの部門があったのですが、現地社員や現地当局などとうまくコミュニケーションが取れず苦労していた部署がありました。私はそこに雇われました。現地のいろいろなことの橋渡しを期待されていました。
ある時、駐在員の飲み会になぜか招かれました。日本からの出張者が来ていたので、その接待のための飲み会でした。
私が招かれたのは、ちょっと得体の知れない現地社員の腹を探ってやろう、という意味があったのかもしれません。
駐在社員のコスチュームに合わせ、飲み会にはグレーのスーツで出席しました。
業務時間外の同僚との飲み会というのは、ほんとうに久しぶりでした。
お友達関係ができていれば別ですが、そうでなければ、日本の外資系勤務の時も、そんなものは一切ありませんでした。海外にある現地企業なら、なおさらです。懇親のための飲み会は業務の一部とみなされていて、パーティーは業務時間内に職場の中で行われます。
飲み会は、大学生の飲み会のように盛り上がりました。話の内容は、他愛もないものでした。大学生がするような意味のない話と、あとは現地社員の悪口大会でした。海外に派遣されるような優秀な人たちが、夜な夜なこんなことをしていました。
もっとも、仕事に関する話題を除くと、みんなが理解できる楽しい話なんて、結局それぐらいしかないんでしょう。駐在員同士で仲がよさそうに見えても、それは表層的なものなのかもしれません。
飲み会もお開きになり、みんなで会社まで乗っていこうと、タクシーを呼びました。
大きなワゴン車が来たのですが、どうしても一人だけ席が足りません。
みんな無言で固まっていました。
私は空気が読めなかったのですが、しばらくして、ああこれは私に辞退してもらいたいということだな、と理解しました。私が「近いんで歩いて帰りますよ」と言うと、現地法人社長や飲み会の幹事はじめ、みんなほっとした顔になるのが分かりました。
そうするとすぐ、駐在社員の一人のオオツカさんが、じゃあ私も近いし一緒に歩きますよ、と言ってくれました。
オオツカさんが気を遣ってくれたことを理解しました。ただオオツカさんは、そんなことでこちらが恐縮しないよう、何ともないような自然な雰囲気を出してくれていました。ふたりで他愛もない話をしながら、地下鉄の駅まで歩いて帰りました。
オオツカさんは、4人いる駐在社員の中で、英語でスムーズにコミュニケーションができる唯一の社員でした。日本人以外の現地社員とも、ふつうに話ができました。オオツカさん自身は、駐在社員と現地社員との間に入ってうまく取り持とうとされていました。
ただ、その語学力ゆえ、両方から頼られ、そして両方から疎まれていました。現地社員からすると、英語が通じる唯一の駐在社員なので、不満がダイレクトに向けられます。駐在社員からは、自分だけ向こうで現地社員と英語でしゃべりやがって、と妬まれていました。
この後も、オオツカさんには何かと相談に乗ってもらっていました。
仕事関係だけでなく、会社の対人関係の悩み事も、ちゃんと背景や事情を理解して解説してくれました。
オオツカさんは、自分の会社での立場がどの辺りにあるのか、分かっていました。
駐在社員という制度は、外資系企業などではあまり見ない珍しい制度です。
日本にある外資系の会社で何度か働きましたが、駐在員など見たことがありません。例外は1回だけでした。
その人は、経営を立て直すために社長として本社があるイギリスから乗り込んできていました。ただ、その方自身はお父様が日本人で、日本語にも日本的ビジネスカルチャーにも堪能でした。本社は、その人を本国でわざわざヘッドハントした上で日本に送り込んできていました。
海外の多国籍企業で働いた時も、駐在員は見たことがありません。そもそも多国籍なので、駐在員という考え方自体がありません。
日本企業の駐在員制度では、英会話も覚束ないような社員を何人も現地に寄越します。いちおう本社ではTOEIC750点以上でないと海外に行かせないという風にしていますが、750点ではスムーズな英会話など到底無理です。わざわざ駐在させても現地でコミュニケーションできません。
そのため、コミュニケーションを円滑にするため、結局は現地で日本人を雇わなくてはなりません。
駐在社員にあって海外現地社員にないものって、何でしょう?本社とコミュニケーションしやすい、ということでしょうか?
日本人がまだ現地にほとんど住んでいなかったような時代なら、駐在員制度も理解できます。でも、そういう時代はとっくに過ぎています。
いまは現地にも日本人が大勢住んでいます。現地の事情にも詳しくて語学力もあり、しかも専門知識もあるような人も沢山います。
日本人なので、本社とのコミュニケーションも問題ありません。
現地で日本人を採用すれば済むのです。
駐在社員にはものすごく費用がかかります。会社の視点に立つと、お給料として払う金額の倍以上の金額を掛けています。諸手当や福利厚生だけでも、お給料と同じぐらいの金額になります。そのうえ、現地の所得税まで会社が負担してくれます。転居時の費用や現地社宅、自家用車やそのガソリン代も会社持ちです。お子さんの日本人学校の費用も会社が払っています。
外資系では一部の役員クラスでしか得られない待遇です。日本の会社の駐在員の場合、タイトルに関わらず、この待遇がもらえます。
その上、社内での英語教室や事前研修など、海外赴任させるために会社は追加の費用をかけています。
言うまでもなく、こういった駐在社員が得られる待遇は、現地社員は一切受けることができません。
この待遇面の違いについて、現地社員はどう理解すればよいのでしょう? 能力差のせいなら、分かります。でも、専門知識や語学力でも互角かそれ以上の現地日本人社員もいますし、現地事情の理解にいたっては現地社員のほうが明らかに上です。合理的に説明できません。
また、駐在社員が現地社員に接するとき、この待遇差をどう合理化するんでしょう? 多くの場合、身分の違いに頼るほかないのかもしれません。駐在社員に、実力に必ずしも見合わないタイトルが付くのも、その辺を合理化するためかもしれません。
ただ、身分の違いが実際の問題解決に行使されることがあります。スタッフに何かをしてもらい時、話し合って納得してもらうのでなく、決まりだからとただ命令するのです。英語のコミュニケーションが不得意な駐在員にとっては便利な方法ですが、あまり好ましい方法には見えません。日系はパワハラ体質だと言われたり、なかなか現地社員が居着かないのには、このようなコミュニケーションの方法に原因があるのではないでしょうか。
タクシーに乗せてもらえなかった時に、もしかするとこれは身分制なのでは、ということに気づきました。
なぜ私がタクシーに乗れないのか、身分の違い以外で合理的に説明がつきません。
オオツカさんが一緒に駅まで歩いてくれたのは、たぶんオオツカさん自身は、そういう理不尽な身分差に自覚的だったからなのでしょう。ふだんから現地社員とも話をしていて、駐在社員が疎まれる原因について理解できていたからだろうと思います。
逆に言うと、駐在社員は、なぜ現地社員に疎まれるのか、たぶん本当のところ分かっていないのです。だから、そういう、何とも大人げない現地社員の悪口大会に走ったりするのではないでしょうか。
駐在社員の人が現地社員から受ける風当たりの強さは、多くの場合、業務内容に見合わない待遇面の違いが原因です。理不尽な身分差です。
それに自覚的であることで、駐在社員は現地社員との距離を多少でも縮めることができるのではないかと思います。
現地社員の側も、自分の中に感じる、駐在社員に対するいらいらした感情に自覚的であるべきだと思います。身分差があるのは現実なので、日系企業で働くとはそういうことなのだと納得して入るよりほかありません。これもビジネスだとあきらめるしかないのでしょう。