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わたしが1ミリも知らない人に「ブス」と言われた日

「みんな、絶対にトイレに行ってると思えばいいんだよ」

これは、社会人1年目のときに先輩が放った言葉だ。クライアントから無茶な納期を提示されて途方に暮れていたわたしに。

社会人になってから1番辛かったことは何だろう、と思い返してみる。

社会人なりたての水曜日に、当時学生だった彼氏に振られ、それでも泣き腫らした目を冷やして出社しなければならなかったとき。

大型クライアントを先輩から引き継いだばかりで、右も左もわからないところをガン詰めされたとき。

どんなに頑張っても仕事が終わらなくて、回らない頭で朝5時にみんなでしょっぱいラーメンを食べたとき。

どれも社会人初期のころの話で、思い返してみればどれも「青いなぁ」と思うことばかりだ。それでも、チクショウと地団駄を踏みたくなるようなことをしてきた人や、酷い言葉を浴びせてくる人に対しては、例の言葉で乗り切っていた。

「どうせコイツもトイレ行くんやろ!」って。

トイレは万能だ。相手の涼しい顔を見ながらそう思うと、何だか心がスッとするのである。でも、そんな万能ワードでも乗り切れなかった案件がひとつだけある。

それは、遡ること数年前、仕事でとある記事を執筆したことで起こった炎上である。基本的にやわらか〜ゆるふわ〜な発信を心がけているわたしにとって、人生初めての炎上だった。

正直、めちゃくちゃ言いたいことはたくさんあったけれど、あくまでそれは個人で書いた記事ではなく、仕事で書いた記事であり、自分ひとりで責任を負えるものではなかったのでググッと耐えた。それでも3日間ほどは生きた心地がしなくて、毎日イヤイヤ言いながら会社に向かっては、「私はどうすればいいんですかね…」と先輩にチャットを投げまくり宥められていた。

「そんな炎上、可愛いもんだよ!」と言われても、そんな不幸比べをしたところで、「わぁ、わたしの炎上ってマシなんですね、よかったぁ!」なんて思えるはずもなく、うるせぇと心のなかで毒づいていた。(先輩ごめん)

次々と届くDM。Twitter廃人のわたしは、いつもの癖で通知が来るとすぐにチェックしてしまい、そのたびに項垂れた。全然知らない人から罵声を浴びせられ、匿名の人から「ブス」と罵られるなどした。

もうここまで来ると記事の内容なんて全然関係ない。矛先はわたしの顔面にまで飛んできたのだ。

これはあまりにひどい。たしかに自分でもブスと思ったことはあるし、思春期にはこの野暮ったい鼻を整形したくてたまらなかったけど、今や「まぁ何だかんだ落ち着くんだよな」と、やっと、や〜〜〜っと長い年月をかけて思えるようになったわたしに、もう一度「ブス」って言うなんて。

そもそもアンタ誰やねん。わたしにブスって言っていいのはわたしだけなんだぞ! とハンカチをキーッと噛み締めた。

でも、それからしばらくして、というか1週間も経たないうちに火は消えて、結局わたしの心には記事とは全然関係ない「ブス」だけがポツンと残った。きっとあのとき「ブス」と投げてきた人はわたしのことなんて覚えてないと思う。

2文字打つなんて2秒でできちゃうもの。エビングハウスの忘却曲線によれば、人の脳はインプットしたことを1時間後には56%忘れてしまうんだもの。でも、じゃあなんでわたしの記憶からは消えないんだろうか。人の脳、都合が良くない説ある。

よく、「Twitterをしていて炎上しないんですか? アンチは来ないんですか?」と聞かれるけど、わたしが体験した炎上はこれだけだ。Twitterというよりも記事の炎上。そして、アンチ(のような人)はたったひとりだけいた。

わたしのツイートやYouTubeの動画一つひとつすべてに反対の意見を言ってくるものだから、ちょっと参った。「知り合いなのかな?」「何か恨みを買ってしまったのかな?」と思い当たる節を浮かべてみたけれど、さっぱりわからなかったので、勇気を出して直接聞いてみることにした。

「いつもコメントありがとうございます。○○さんはわたしのことが嫌いなんですかね…? 」

「そういうわけじゃない。ただ、天邪鬼なので言いたくなってしまう。そういう人なんです」

「そうなんですね。ただ、わたしの場合、鋭い言葉が目に入るたびに心が痛くなってしまうので、大変申し訳ないのですが、ブロックをさせていただいてもよろしいでしょうか。本当にごめんなさい」

「大丈夫です。どうぞ」

衝撃だった。

この人は、わたしのことを嫌いというわけでもないけれど、とりあえず「言いたい」から、毎日毎日反対のコメントを投げつづけていたのだ。そこからブロックをさせていただき、わたしのタイムラインには再び平穏が訪れた。そうか。ブロックをしたかったら、相手に直接「ブロックしていいですか?」と聞けばいいんだ。と目から鱗が落ちた案件だった。

そう思うと同時に、これまで「敵」だとみなしていた相手の輪郭が、ちょっとだけハッキリした。当たり前だけど、彼も人間だったのだ。

人はしばしば、「人」のことを自分と同じ「人」だということを忘れてしまうように思う。

「転んだら痛い」なんて、小さいころに知っているはずなのに。小さな膝小僧にひっついた砂利と血を冷たい水で流した記憶も。クラスメイトの何気ない言葉で枕を濡らした夜も。全部忘れて今日も、思い思いに言葉の石をガンガン投げつける。

「みんな、絶対にトイレに行くと思えばいいんだよ」

先輩が教えてくれたこの言葉は、相手を蔑む言葉じゃない。どんなにひどい言葉を投げかけてくる人も、あるいはどんなにエラい人も、自分と同じように便器に座って唸ってるんだって、そう思わせてくれるやさしい言葉なのだ。めちゃくちゃ綺麗めに言えば、「てのひらをたいように」、と同じような類のものだ。どうせみんな、真っ赤な血潮が流れてるんだろって。

ここまで散々書き散らかしてきたうえで断言しよう。人と人とはわかりあえない。

だってわたしは未だに「ブス」と言ってきたあの人がなぜわざわざそう言ってきたのか、未だにわからないし、「反対のことが言いたいから言った」人のことも全然理解できない。

でも、当時はわかりたくなかったけど、今はその人たちが、わたしと同じようにごはんを食べて、用を足してるってことだけは知ってるし、どうかその人たちにも、わたしが同じようにごはんを食べて、用を足してるような人間なんだってことを知っておいてほしいなと思う。

今、その血潮が流れる手で何を殴ろうとしてるのか。その指を滑らせて、何を打とうとしてるのか。その向こうには、同じように指を滑らせてスマホを眺めている人がいるよ。少なくともわたしは、同じ指先を滑らせるなら、石を投げるよりあたたかい言葉を紡ぎたい。

通りすがりの人に「ブス!」とは言わないのに、指先で「ブ」「ス」と打つのに抵抗がない人へ。せめて一文字変えて、「ス」「キ」にしてみたらみんなハッピーになれると思うんだけどどうかな。

これからこの世界に生まれてくる人に「この世界に、ようこそ」と言える世界にしたいからさ、わたしは。


(いしかわゆき)

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