特別展「きもの KIMONO」に出かけ、着物って、こんなに自由なのだと驚く
コロナウイルスのために、中止と危ぶまれた、着物展。6月末から日程を変更して、開始され、着物好きの知り合いが次々と出かけていく。私自身は、迷いもあって、七月は見送り、八月になって、ようやく行こうと決めた。日時予約制なので、金曜日の朝一番を予約する。予約して、90分が持ち時間。ただ、この時間では、ゆっくりみると、足りない気がする。
日本でも初めてという規模の、歴史的に着物を捉えた展示会。それは、日本人がどんな暮らしをして、どんなものを身にまとっていたかの歴史でもある。安土桃山から江戸期にかけての着物の自由さ、色彩の自由さ、意匠の大胆さ、繊細さ、工芸的な美、芸術作品のような着物。これらの着物は飾っていたのではなく、実際に着ていたのだから驚く。
夏の着物は大部分が麻。細かな刺繍をしているが、麻はしわになりやすく、ごわごわしているように思う。いま、自分が夏着物として愛用している、ごく細い糸で織った夏大島や夏塩沢は、まだこの時代にはなかった。
《近江八景模様小袖》江戸時代 18世紀 2205-0103 女子美術大学美術館収蔵 近江八景を着物で表現するという発想がすばらしい。絵画を着物の上に展開したため、身にまとうことで、3Dになるのだ。
ほかにも色彩の美しさに、目が覚める思いがする。
小袖 黒綸子地波鴛鴦模様 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 黒地に波、そして千鳥が大胆に配置されている。寛文年間に、こんな着物で町を歩くひとがいたのだろうか。
小袖 白綸子地滝菊模様 江戸時代・17世紀 千葉・国立歴史民俗博物館蔵
こちら、同じページの下段。岩間からほとばしる滝が落ちる先が、植木用の高足台。西洋の画家たちも、思いつかなった発想だ。
会場を回りながら、着物は、上品な色と華やかな帯という自分の中の固定概念が壊されていくような気がしていた。着物はもっと自由なのだ。それは、また、日本人が、粋で、お洒落で、美意識にあふれ、暮らしていた証拠のようなものである。
明治になって、学生は制服、工場でも作業着と、お仕着せの衣服が出てきて、自由なことは、規律を守らないことと、規制が入ったのではないか。
大正・昭和の訪問着も素晴らしい。家に祖母の丸帯が何本かあるが、それがどのように使われるのか、興味があった。会場の丸帯は、みな三分紐で締められていたが、それは帯留めを通すためなのだろうか。丸帯と三分紐、そして帯留めがセットになっている。
夏の着物はジョーゼットの生地もあって、薄くて涼しそう。でも帯はきちんと帯芯をいれて締めている。昔は、いまほど夏が暑くなかったというが、それにしてもきちんと帯を締めて、おしゃれをしているのには感心させされる。こんな贅沢な着物をまとうことができた階級があったのだ。細雪の女性たちを連想してしまう。
着物を眺めながら、物語が浮かんでくるのだ。源氏物語の登場場面や、オランダ絵画もある。見に行けて本当によかったと思う。また、機会をつくって出かけよう。二度目には、また、新しい発見があると思う。