令和6年11月11日
耳鼻科の待合室で診察を待つ。先週から1週間続く鼻水に嫌気が刺すけど、気持ちで治ったらこんな通院もしなくて済む。
慣れない文章を書きたくなって、noteを開いても好きなライターのように書けなくて悲しい。今日は週明けの月曜日なので、いつもより待合室が混んでいる気がする。やらないといけないことは山ほどあるけど、どうしても文字を書きたいので残り3人の診察が終わるのを待ちながら書く。
私は自分を肯定することが苦手だ。
歌を歌い始めたのは、誰かにみてもらって、その人を通して、自分の形を確かめたかったからだとこの歳になって改めて分かった。インターネットにあげられない、ライブなどの活動もできない、他人の評価を得られない、そんな状況でもなんとか乗り切りたかったけど最近正直キツくなってしまった。
自分の存在価値が分からないのだ。ただ好きという気持ちだけで歌っても楽しいだけで満たされない。上手いと思ってた自信とか無くなっちゃっていつも不安になっている。そんな悲しいことに気づいてしまった。こんな私じゃ、歌なんて向いていないのかもしれない。
高校の頃は恵まれていたと思う。音楽ができる環境が身近にあって、バンドを組める仲間がいて、いつでも曲を聴いて感想をくれる友達がいて、憧れの先輩が近くにいて。自分の歌詞やメロディーのお気楽さに未熟を感じても、人前に立つことが緊張して泣いたあの日も全て簡単に手に入らないくらい歳をとってしまった。たまにInstagramのストーリーで載せた曲に反応貰えるの本当に嬉しかったし今でも記憶が輝いてる。
最近だと、ゼミの打ち上げでカラオケに行った時にべろべろになりながら「私には歌しかない」って言い歌った歌をちゃんと褒めてもらえて幸せになれた。やっぱり人から褒められるときにしか生きてるって感じられない。
なんでこうなったのだろうか。幼少期の楽しかった思い出はすぐに思い出せるけど、悲しかったり辛かった思い出は意外と思い出せないことに驚く。小学校高学年くらいからは明らかに人の評価を気にしていた。ふと書いていて思い出したが、運動会の徒競走の影響かもしれない。六年間毎年足が速い人が順番が後ろになったり、選抜リレーに選ばれるのだが、リレー選手になるとおばあちゃんに俊足の靴を買ってもらえた。それが嬉しくて堪らなかったことをよく覚えている。あまり好きなものを買ってもらえない家庭だったので、唯一の欲しいものが貰えるイベントだったのだ。勿論クリスマスにはサンタさんが来てくれていたけど、サンタさんは一度も私の欲しいものをくれなかった。お手紙に書いたものとは別の、目覚まし時計や脳トレとか自転車とか(自転車は欲しかったけど)なんだか大人にとって都合のいいものばかり貰っていた気がする。それに小学校4.5年生辺りからは現金を頂戴していた。だからこそ自分の「足が速い」という価値に対して「新しい靴」という明確なご褒美が貰えるというように、価値があるから何かを得られるという仕組みが呪いのように纏わりついてくる。
それでも、私はその自分の価値を自分で感じられる人間になりたい。
ところで、耳鼻科のネブライザーはかなり好きだ。診察が終わり大抵の人は通されない別のルートで部屋に入り、特別な処置をしてもらうのってなんだかワクワクする。それに鼻から入れても痛くないのは素晴らしい。
いつまでも体調が悪いと大好きな歌が歌えないが、いつまでも布団で横になっているわけにもいかないので、常用してるヴイックスのオレンジ味を一粒舐めながら次の予定に向かうとする。