私のストーリー(徳光みく)

私のストーリー
2019年11月1日

キーワード:化学、美、演技

はじめまして、徳光みく(戸籍名:德光貴洋)です。神奈川県厚木市在住、29歳トランスジェンダー女性です。株式会社ラッシュジャパンのボムルームで働いています。ここでは私のストーリーを紹介させていただきます。長くなりますがお付き合いください。

概要
1990年 誕生
2006年 神奈川県立小田原高校
2009年 東京工業大学
2013年 東京工業大学大学院
2016年 資生ケミカル株式会社
2018年 NPO法人ハナラボ
2019年 株式会社ラッシュジャパン

1990年7月27日、神奈川県小田原市生まれ。会社員の父と専業主婦の母、母方の祖父母に愛され、すくすくと育ちました。3歳で保育園に入り、絵の才能が開花。5歳の頃には遠近法が使え(遠くのものを小さく描く)、当時の保育士さんは驚いたらしいです。

1997年、小学校入学。放課後は通学路の途中にある祖母の家に寄り、NHK教育「おかあさんといっしょ」を観てから、祖母と一緒に自宅へ帰るのが日課でした。算数と理科にハマり、自分で計算問題を作っては解いていましたが、答えが合っていたかは不明です。勉強好きでテストの点は良いのですが、落ち着きが無く授業態度が悪いため、6年生の時の成績は図工だけ◎で、他の教科は○でした。

2003年、中学校入学。引き続き勉強好きで、理科は教科書を先にどんどん進めていました。そのため理科の授業が退屈で、授業中に社会の宿題をやっていて先生に怒られたりしていました。ただ知識・理解の比重が大きかったため、成績は良くなりました。美術部に入部しましたが、同期はなぜか私一人。上や下の代は10人くらいいたんですけどね。3年生の時に未来の暮らし(?)のポスターコンクールで入選しました。

2006年、神奈川県立小田原高校入学。地元トップの公立校に進学し、引き続き数学と理科で好成績を収めていました。特に化学にハマり、2年生の時の模試では神奈川県3位の点数を収めました。児童文化部に入部しましたが、ここでも同期はなぜか私一人。2人だけいた先輩も半年で引退し、実質1人となりました。顧問の先生の働きかけや演劇部の協力で、お手伝いを集めて人形劇や紙芝居を成り立たせていました。代わりに私は演劇部で大道具や照明をしていました。自分から友達は作りませんでしたが、2年生の時に彼女ができ、そこから友達が増えました。部活引退後は塾へ行っていないメンバーで集まり、放課後の教室で勉強していました。

2009年、東京工業大学第1類入学。2年生で理学部化学科へ進学し、本格的に化学の道へ。必修科目の単位を落としていたため、4年生で配属された研究室は第6志望。しかしここでは同期に恵まれ、楽しく研究生活を送っていました。ジャグリングサークルにハマり、2年生の時の学祭ではバルーンショップの店長を務めました。4年生の時には同期と2人で30分の大道芸をしたり、バルーンアートを作るパフォーマンスをしたり、従来のサークルの芸風に一石を投じました。

2013年、東京工業大学大学院理工学研究科化学専攻入学。週6で研究室に通うも、研究する意義が分からなくなり、サボりがちに。個人で大道芸の仕事を受けるようになり、長期休暇には長距離フェリーの船内で公演を重ねました。日本科学未来館での展示解説ボランティアをきっかけに、ボランティア活動を通して外の世界と繋がる楽しさを知りました。就活では履歴書の資格欄が寂しかったので、TOEICでスコア780を獲得。日々英語の論文を読んでいた甲斐がありました。おまけで運転免許と色彩検定2級も取得。1年留年して修士論文を書き上げたところ、2週間後にアメリカの研究グループが同じ成果を学術誌に投稿。わずかな差で修士号を取り、皮一枚で修士課程を修了しました。

2016年、資生ケミカル株式会社研究開発グループ入社。ヘアカラー3ブランド44色の製品化に携わりました。積み上げてきた化学の知識と生まれ持った色彩感覚を活かし、楽しく仕事していました。ヘアカラー以外の化粧品についても勉強し、化粧品検定1級、コスメコンシェルジュを取得。同時期にNPO法人チャリティーサンタでさいたま支部を設立し、さいたまの子どもたちへサンタクロースとの思い出を届けました。しかし自分のセクシュアリティが会社に受け入れられず、退職を決意。3年目で後輩が入社してきたので、3ヵ月で雑務を引き継ぎ、7月に退職しました。次の仕事は決まっていませんでしたが、貯金もあるので何とかなるだろうと思っていました。

2018年、NPO法人ハナラボ事務局入職。前年にボランティアをしていたイベントで、ハナラボの求人を見かけ、面白そうだったので応募しました。長野県塩尻市の地域資源を活用した商品開発に携わり、女子大生とスープのブランドを立ち上げました。製造業の経験を活かし、塩尻市の食品メーカーとの打合せや試作を円滑に進めました。商品開発の舞台裏、学生や塩尻のシェフの想いなど、ブランドストーリーの発信もしていました。また一方で、地域に根差したキャリアを築いている人の調査を行い、「ローカルキャリア白書」を執筆。当事者へのインタビューを通して抽出された内容をまとめました。しかし翌年5月に契約打ち切りとなり、再度仕事を探すことにしました。

2019年、株式会社ラッシュジャパンボムルーム入社。製造の現場で、日々バスボムの成型をしています。環境問題や人権問題に本気で取り組んでいる会社の姿勢に感動し、応募を決めました。会社では女性用のお手洗いや更衣室を使えています。現在は専門的な知識を必要としない単純労働をしていますが、化学の知識やブランド立ち上げの経験を活かせるポジションへの異動を狙っています。自分の仕事を通して、環境問題や人権問題にポジティブな影響を与えていきたいです。チャリティーサンタではさいたま支部を後輩に引き継ぎ、活動休止中の相模支部を再生しました。現在2019年のクリスマスに向け準備中です。

いつか、また気が向いたらこの続きを書こうと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

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徳光みく
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