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漂流(第三章⑤)

第三章

5.
暫く黙り込んでしまった美代子に対して、聡子は一つの大きな決断を迫られていた。全てを知った光男の次なる行動を予想するのは容易い。そしてそれが重大な結果をもたらす事も火を見るより明らかだ。何としてもそれは避けなければならない。それが聡子に課せられた最後の任務とも言える。しかし……。
そこで思考はストップする。美代子が言った重要な何か……。そこには恐らく彼女も、そして光男もまだ気づいていないであろう真実が隠されている。それを知らない光男は、まず間違いなく聡子の父である慎太郎の元へ向かうだろう。そこで最後の秘密を知ってしまったら……。
「美代子さん、後は私に任せて貰える?」
聡子の言葉に美代子は、神の救いを受けた様に表情を輝かせる。
「本当ですか?光男さんを止めて貰えるのですね?」
頷きながら、聡子は込み上げてくる良心の呵責と戦っていた……。

聡子がそれを知ったのは、司法試験の受験日が近づく頃だった。秋山の事務所で皆から激励を受け、その会がお開きになった後、聡子は改めて挨拶する為、秋山のいる所長室の扉の前に立った。父の件で傷つく聡子を、何かと気に掛けてくれた彼に感謝の気持ちを伝えたかった。ドアノブを引こうとした時、中から話声が聞こえた。いつもの優しい秋山の口調ではない。
「今更何を言ってるんだ。あの事が表に出れば、俺もお前も終わりだぞ。可愛い娘の人生もな。」
何の話だろう?こんな下品な会話をする人ではないのに……。
「俺は一介の弁護士だが、早川、お前はキャリアだ。だからあの時、取引に応じたんじゃないのか?」
え?お父さん?取引って?聡子は混乱していた。ただ話の内容からとんでもない秘密があるのは明らかだった。堪え切れずに聡子は所長室の扉を押し開け、秋山に向かって叫んだ。
「所長!今の話、詳しく聞かせてください!」
呆然としたまま、秋山は受話器を置いて立ち上がった。
「聡子……」
暫く状況を吞み込めない様子だったが、徐々に気持ちを落ち着け、観念した様に聡子と相対した。
「話を聞いたんだな?」
聡子は、秋山を見据えたまま頷いた。
「ここが潮時か…もうお前も子供じゃないしな。」
秋山は再び席に着き、煙草に火を点け煙を燻らせながら、ゆっくり語り出した。
「光男君のお母さんの件な……あれやったの、実はお前の父さんじゃないんだ。」

第三章⑥に続く




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