漂流(第二章④)
第二章
4.
消灯時間になり、部屋は真っ暗になった。先ほどまで眺めていた白い天井が目の奥にまだ残っている。これからの時間が一番落ち着く。今までの人生、これからの人生をゆっくり考えるにはこの上ない。こちらに来てから数日が経った。N市から車で一時間ほどの町で、“拘置所” と呼ぶらしい。
俺は人を殺めてしまった。やはりそういう人間だったのだ。母の事も、聡子の事も、全て俺の汚い血が招いてしまった。きっと父親に似たのだろう。見たこともない父親の顔を思い浮かべ、何度も塗りつぶした。
所長と美代ちゃんが何度か来てくれた。裁判で戦おうと。でも俺にその意思は無い。これは殺人だ。あの時、殺意を持って俺は奴に向かっていった。真っ白だった筈の頭の片隅に、確かにそれはあった。
ただ、二人の気持ちは有難かった。
「光男。俺は諦めないぞ。お前には散々世話になった。出来る限りの事はするつもりだ。」
「光男さん…本当にごめんなさい……」
「東京にな、優秀な弁護士先生がいるそうだ。その先生に頼もうと思っている。現場のみんながカンパしてくれたぞ!だから諦めるな。」
地元の弁護士達には全て断られたらしい。それ程、状況は厳しいのだろう。
目の前で真剣に訴える二人に心の底から感謝した。
思えば俺の人生、人には恵まれていたのかもしれない。聡子といい、この二人といい、優しい人間は何人かいた。それなのに結局こうなってしまった。やはり自分を責めざるを得ない。
「○○番。面会だ。」
ここではみんな番号で呼ばれる。ここに来て二週間後の朝、俺は看守から呼び出しを受けた。また所長達が来てくれたのか。感謝と申し訳なさが綯い交ぜになった。看守の後をついて面会室へ向かう。気持ちは有難いが、やはり弁護士の件は断ろう。改めて決意を固め、看守が開けたドアの中へ足を踏み入れた…
部屋の真ん中は硬質のアクリル板で仕切られている。その向こう側に座る人物は……想像していた彼らではなかった。女性がそれも一人で、こちらを睨む様に座っていた。
「早く座りなさい。」
暫く呆然としていた俺を看守が窘める。
直ぐにはピンと来なかった。面影はある。しかしすっかり変わった。大人の女性になっていた。何度も想像していた姿より数段、美しくなっていた。
「北村光男さん、ですね?」
冷えた彼女の声色が、俺の妄想を掻き消した。目の前の女性。濃紺のスーツの襟には金色のバッジが輝いている。理知的な表情は実際のトーンより声色を冷たく感じさせるのかもしれない。
「そうだけど…聡子だよね?」
俺の問いにも全く表情を変えない。本当に分からないのか?いやそんな筈はない。名前まで知っているのだから。
「聡子だろ?」
もう一度尋ねる。しかしそれでもほとんど反応なく、再びクールな声色を響かせる。
「私は早川聡子と申します。貴方の弁護を依頼されています。もう一度お尋ねします。貴方は北村光男さんですね?」
この状況を理解できず困惑したまま、俺はゆっくりと首を縦に振った。