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論破をやめた理由としない方がいい理由をINTPが語る【MBTI】

INTPの嫌われる行動ぶっちぎり第1位

論破ではないだろうか
論理的合理的であるINTPが何故非合理的な論破を行うのか、理由を私INTPが実体験を交えながら理由を述べていく
今回もなんちゃって考察程度に考えていただけたらと思う

色々ぶっちゃけているので性格悪いと思われるかもしれないが、まあ私については実際良いとも思っていないのでまいっか、とありのまま書いた

若い頃は論破をしていたが、成人あたりを境に論破をやめた

若い頃、無自覚に論破を行っていた
相手の8割は身内に対して、残り2割は感情論をふっかけてくる同学校の生徒であった
基本的に友達と言い合いになることは一部の例外を除きなかったため、友達に対して論破を行うことは殆どなかったと思うのだが、周りに恵まれていたのでスルーしてくれていただけなのかもしれない
そうだとしたら本当申し訳ないし本当にありがとう

まさにINTPの王道のような性格であったのだが、成人辺りを境に論破を行わなくなった

なぜ論破をしていたのか、そしてやめたのかを順に語る

感情が遠すぎて存在していないことになっていた

10代までの私は相手のみならず自分に感情があることも認識していなかった
他のタイプからすると意味不明かもしれないが、文字通りそうなのである
ただ自身の単純な感情はうっすら感じていたように思う

論破する理由その1

私は自分から喧嘩をふっかけることはなかったが、売られた喧嘩は買っていたし、もちろんボコボコにしていた
これに関しては正直今でも喧嘩をふっかける側が悪く返り討ちにあっただけ。と思っている

ただ議論をふっかけるような行動はとっていたため、この部分で喧嘩を売ってると思われていた可能性は高いように今なら思う、議論のふっかけ、私にとっては普通のコミュニケーションなのだが、MBTIのSF型あたりは喧嘩をふっかけられていると感じるのだろう
議論(のつもりはないけど)になるとあからさまに機嫌が悪くなる、嫌そうな顔をするなどの反応を繰り返され気が付いた

これについてはどちらが悪いとかはないと思っているが、SF型(当時はMBTIを知らなかったが根本的に性格が合わないことには気づいていた)には議論をふっかけないようにはなった、議論とすら思ってはいないので納得はいっていないのだが、面白い会話ができずつまらなかったからやめた
最低すぎる理由なのだが感情機能から遠いINTP(というか私)の本心はこんなものなのである

論破する理由その2

論破する背景に感情が存在する、というか感情の塊である

感情面へのアクセスが困難であると同時に、私は全体的に言語化がへたくそだった
でも相手に伝えたい、わかってほしいという気持ちは非常に強くあり、その欲求を伝える方法が論破なのであった

論破は
「私のことをもっと理解してほしい」
が根底に存在している
「私の言うことを理解してほしい」
も含まれるがこれは二次的なものである

完全に方法を間違っているのだが、自他の感情を自覚できないゆえに感情面への配慮、感情面からのアプローチが欠落し、結果、論理のみを主張することになってしまうのである

もちろんこれで真意が伝わるはずもなく、キレられることを繰り返すのだが、更になぜわかってもらえないの、と落胆し、もっと論理を詰めればよかったのかなどと明後日の方向へ創意工夫を凝らした結果、ますます論破に磨きをかけ相手をキレさせるのであった
しかも私もINTPの例に漏れず口喧嘩が強く負け知らずであるため大変タチが悪い

私が論破をやめた理由

成人して間もないくらいのタイミングで論破しなくなった
意図的にやめたのだ
ここで取り繕っても意味がないので白状するが、相手を傷つけるから、といった感情的な配慮が理由ではなかった

理由①他者への期待の喪失

同時期に「人に他者は変えられない」を学び他者へ期待できなくなった
つまり論破したところで何も変えられないし何も伝わらないことに気が付いたのだ

更に他者への期待の喪失により、怒りに使用するエネルギーの無駄を感じるようになった結果、あまり怒り自体を感じなくなった
正確に言うと怒りは感じるが自身で消化できるようになった

論破に使っていたエネルギーの源は半分以上怒りであったため、論破に使うエネルギーが足りなくなったのだ

理由②一切のメリットがないことに気付いた

論破しても私の真意は伝わらない上、周囲からすると私が悪者にしか見えない可能性に気が付いた
私の味方でいてくれる、いてくれるはずの人まで遠ざけてしまうことは避けたかった
ぼっちが怖かったわけではない
「私が悪者扱いされることで結果相手が得をする」シチュエーションを想像すると腹立たしいことこの上なかったためだ

理由③人を傷つけることに気が付いた

成人してしばらくしてから、自身の感情が少しわかるようになってきた

その結果「自分がされて嫌なことは人にもしない」ようになったため、ここでやっと感情面からの論破はよくないに気づいた

だけどいまだに他者の感情は殆ど理解ができない
この方面から論破はよくないからしない、となることは今後もないかもしれない

だけど理不尽さも感じている

確かに論破は良くないしする意味はないのだが、論破に至った経緯は私への一方的な価値観、同調圧力、感情の押し付けが原因となっている場合が非常に多かった
言語化が不得手であり自身の感情面を含む主張がうまく行えないところにも問題はあるのだが、多数派である価値観と感情をふりかざされているという側面も間違いなく存在する

論破を行う人は人の気持ちが分からないと言われる
確かにそうなのであるが、ただ「人の気持ちがわからない」と発言する人に対して思うことがある、この人の気持ちがわからない、というフレーズは論破に近い性質ではないのだろうか
論破するなとキレてくるわりにその論破を行ってくる矛盾を私は理解できなかったし今もできない

このフレーズは共感性が高いとされているタイプに言われがちなのだが、共感性が真に高かったら言わないのではと思っている
言われたら傷つくことを容易に想像できはずだからだ
それとも傷つけられたから傷つけようという意図があったのだろうか?
そうだとしたらあまりに恐ろしいのでそうでないと思いたい…

私(INTP)にも間違いなく気持ちはある
もやもやしていてよくわからないことが多いが、人の気持ちがわからないなど言われるとさすがに傷つくのである

…が正直次の日には忘れているし、傷つくというより劣等感を感じるが近いようにも思う
感情機能に遠いため、感情を頭で理解しようとせざるをえないのだが、何だか微妙?にズレたヘンテコ解釈に落ち着いてしまうのだ

ただ感情に直接触れることができないゆえに、メンタルをフラット状態に保つことができているのではないかとも考えている

メンタルの揺らぎがしんどいことを経験している私はこの部分だけは残しつつ、もうちょっと感情面にアクセスできるようになればいいなあと思っている

なおMBTI考察でINTP人の気持ちわからないとか言われてもまったく問題ない
感情機能から遠いのは事実だし困りごとも発生するので是非掘り下げてほしい
以前にも書いたが建設的な批判はある程度歓迎なのである

ちなみに現在論破はしないが脳内ではけっこうしてる

現在人に対して論破を行うことはないし、めちゃくちゃ腹が立つようなできごとは基本的に起こらない
なぜならそのような環境には身を置かないようにしているからだ
私は建設的な話し合いができない人種を嫌悪しており、感情論をふっかけられるとうんざりして脳内でボコボコに論破してしまうのだが、意味がない上ストレスがたまりデメリットしかない
社会人以降は環境は自分である程度選べる

ただマイノリティ側であるため理不尽に対する腹立たしさは常にある
その理不尽に対して調べ上げて論破を脳内で行うことはよくある
やっぱりおかしい!だよね!といった具合だ
でもこのくらい誰でも行うのでは?
と思っているのだがどうなのだろうか

あと論破できるというメンタリティはメンタルをフラットに保つに有効だとも思っている
ほどほどであればストレス発散になるし、何か言われても言い返せると言う自信は自己防衛にも繫がるからだ

思考回路が異質で他タイプと相容れないと言われがちであるINTPの脳内をちょっとでもわかっていただけたら幸いである


今日の写真はコキアの丘です
ちょっと結構遠くて、毎年タイミングが合わず行けていなかったのですが久しぶりに撮りに行けました
片道4時間弱日帰りなので疲れましたが、とっても癒されました
コキアまるくてふわふわでほんとうに可愛い!

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