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#40 もう、まだ

 御殿場口五合目の最終バスは、御殿場駅行きの午後5時40分発だ。そのご婦人が下山してきたのは午後4時30分頃だ。鳥居の下で一礼すると大きなため息をついた。中畑さんが「写真を撮りましょうか?」と声掛けする。「いや、いいです。化粧は落ちて髪はバラバラ、こんな姿は残したくないので。でもありがとう」とバス停の待合所に行くと、リュックを下ろしてベンチに腰を沈めた。タオルで顔を拭き終え、またため息。しばらくして少し落ち着いたのか、ご婦人がわれわれのほうに歩いてきた。
 
「先ほどはお声がけしていただき、ありがとうございました。御殿場行きのバスは5時40分でしたよね?」「はいそうです。あと1時間くらいあります」と板妻さん。
「鳥居の下でため息をつかれていましたが・・・、なにか思いがあるのですか?」と中畑さん。「いえいえ 何もありません。ただ今日も無事に登山できたな、という安心感ですかね。3年前から富士山に登り始めて、まだ10回目なんですよ」「えっ、10回目ですか?」 3人で顔を見合わせた。「はい、まだ10回しか登ってないんです」「う~ん、それはすごい!」「いえいえ、今年はあと1回は登りたいと思っています。まだまだです」というとリュックの待つベンチへ帰っていった。
 
「中畑さんは何回?」と板妻さん。「3回」と中畑さん。板妻さんも3回という。私は2回である。いずれも30年以上前のことである。「ところであのご婦人は何歳くらいかな? 僕は70代にみえたけど」と中畑さん。「いやいや、50代でしょう!」と板妻さん。「顔のシワを見ると70代だな。」「いやいや、目の輝きやら肌の張りから50代でしょう!」と二人ともなかなか譲らないが、中とって60歳代ということで落ち着いた。「それにしても、もう10回とは言わずに、まだ10回とはすごい。前向きな、ポジティブな考え方を見習わないとね」と駒門さん。「同感だね。ところでみくりやさんは何歳になった?」と中畑さんが私に振った。
 
「はい! まだ70歳です」と答えて椅子に腰を落とした。
「よっこいしょ」と。

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