良い支援のために押さえておくたった1つのこと
「良いサービスを追求した結果、スタッフの生活の質を落としました…」
先日、話の合う直接支援員の方に素直な気持ちを打ち明けました。
一昨年の二月に施設を立ち上げてから丸2年、初めて拝任したサービス管理責任者として、就労移行支援施設の運営をひたすらに努力し続けていました。
僕たちの施設は、多分プログラマーとしての就労移行支援施設として、日本屈指のサービスを提供しているんじゃないかな😤
自惚れかな💧
就労移行支援という枠組みで仕組みを設計しなかったんです。
生活の見直しから丁寧に個別化した、リスキリングスクールという方があってると思います。
スタッフ一同、純粋にサービスの質の向上に努めた結果だと思います。
利用者さん第一
福祉の世界では、必ずみんなそれを口にします。
そのとおり。
それは常に前提としてあり、たびたび忘れるとはいえ、ほとんどの支援員は、常にそこに立ち帰ります。
利用者さん本意は、支援員なら当たり前にそう思ってるんです。
なぜって、
支援員になった人は、人を支援したいから支援員になったからです。
支援の質を上げ続けることで起こる深刻な問題
支援の質を上げ続けることで起こる深刻な問題。
それは、スタッフの生活の質が下がるということです。
つまり、スタッフが無理をする仕組みが出来上がるということなんです。
「それでも支援員ですか?」
厳しいベテラン支援員は、この言葉を使うことがあります。
得てして、利用者さんに寄り添ってない時にそう言われているように見受けます。
とはいえ、利用者さんの無理なお願いに真剣に寄り添うのは、スタッフの尊厳を捨ててもやることではないと思うんです。
「こんな夜更けにバナナかよ」
そんな福祉について描かれた映画があると聞きました。
おそらくそれは、訪問介護と言われる支援のお話だと思います。
話の内容は知りませんが、きっとその映画は利用者さんに心の底から寄り添った支援の哲学を描いたんじゃないでしょうか。
人に寄り添うことは素晴らしい。
そして、
「過ぎたるはなお及ばざるが如し」
訪問介護と言われるものは、家に訪問して介護する支援です。
それは、生活全般の生きづらさを支援する仕事と考えられます。
なので、夜中にバナナを食べるという当たり前の権利を守るのが、その仕事だと思うんです。
障がいのある方を権利擁護するのが支援
バナナを食べるという、当たり前の権利を擁護するのが、訪問介護の仕事だという話なのではないでしょうか。
きっと映画という分かりやすい表現で、理不尽に見える障がいのある方に寄り添う意味を描いているんだと思います。
就労移行支援は通所支援
就労移行支援は“通所支援“と言われるサービスに分類されます。
通所することによって、サービスが提供できる支援です。
なので、原則的に通所していただくことが利用者さんの義務となり、通所できるように支援するのは通所支援の仕事の範囲にはならないんです。
「私、クレーマーですから」
卒業された利用者さんが、利用当初にそう言われたことがありました。
「ぼくを訴えるのは〇〇さんの権利です。」
そう答えたぼくの声は、冷静に聞こえたそうです。
ですが、ぼくは腹の虫が治らなかったのをよく覚えています。
(ぼくにもあなたを訴える権利がありますから)
そう、心の中で続けていました。
支援施設には最適な人員配置の形がある
全ての支援施設には、法律で定められた人員配置条件があります。
それを満たして初めて、施設を開所することができるんです。
そして、福祉施設の収入は、法で定められた保険制度の報酬の仕組みで決まります。
そして、福祉施設の収入の上限は、低いです。
だから福祉は儲かりません
以前、経済と福祉は両輪とnoteに記事を書いたことがあります。
それはつまり、利用者さん主体なだけでなく、スタッフ主体も意識しないといけない。
良い支援のために押さえておくたった1つのこと。
それは、スタッフの生活の質も上げることです。
継続的に高い収益を上げるには、スタッフに負担の少ない運営も大事ということなんです
感情労働は儲からない
スタッフが理不尽な思いを堪える、感情労働は持続するビジネスモデルではないと思います。
無理なお願いに必ず応える。
暴言に言い返さない。
暴力を受けても通報しない。
どれも全て、過剰なサービス。
仕事を終えて、ご飯を食べに行くこともできないくらい疲れているスタッフの人生は、誰も保証しないんです。
人員配置に合わせた質のサービスが最高の支援
収益が限られている以上、必要以上のスタッフを配置するのは、儲かりません。
儲からなければ、スタッフの給料は上がりません。
じゃあ、どうすればいいか?
答えは、サービスの質を下げればいいんじゃないのかな?
「なんてひどい支援員だ」
そう思った当事者の方もいらっしゃるかと思います。
ですが、支援の本質は利用者さんの権利擁護です。
そのための支援員が、健康で文化的な最低限度の生活である、生存権が守れない状態で仕事をしていて、頼りなくないですか?
自分を簡単に犠牲にする支援員さんが、いきなり休んだら、困りませんか?
就労移行支援の成功は、利用者さんが一般就労をすること
その目的を達成するのに、過剰な仕事を直接支援員の皆さんに強制していた。
良いサービスを追求した結果、スタッフを苦しめていた。
何より、自分の人生を投げ出していた。
正しいことをやってる一方で、ぼくは悪いことをしていたと思ったんです。
一年前の時点で、利用者さんは納得のいく就職を次々と成し遂げていた。
もう十分なサービスは提供できていたんじゃないのかな。
報酬に見合わない、過重労働を強いていたんだろうな。
今日、ぼくは休職手続きをしました
かなり前から、主治医に休職を勧められていました。
「利用者さん何十人の人生は、ぼく一人の人生より重いから」
「ぼくのどうでもいい苦労が、利用者さんのおかげで価値のあるものにしてもらえたから」
「傷だらけの経歴のぼくを、会社が拾ってくれたから」
「症状が出ていても働けるように、マネージャーはいつも働きやすい環境を用意してくれたから」
「いきなり休んだら、他のスタッフのみんなに迷惑をかけるから」
そう思っては、もう少し、あと少しと頑張ってきたつもりなんです。
でも、それがきっと、同僚みんなを追い詰めて行ったんじゃないかな。
僕がいなくなっても、大丈夫
休職を経て、復職を思う時、そう思えたら最高。
おかえり、みくりやさん
復職した時、仕事仲間にそう言ってもらえたら、大人なのに人前で泣くかもしれません。
父が亡くなる前に言ったと聞いた言葉
「やっぱり延命措置、受けよか…」
それ聞いた時は、辛かったです。
あれだけ介護を受けたくないと言っていたのに、最後の最後まで、家族のために犠牲になるとか、あかんで。
みんなともっと、一緒にいたかったんかな?
相変わらず、人の気持ちのわからん息子やけど、
ぼくはもう、大丈夫やからな。