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#2ショートエッセイ 結婚と離婚について思うこと

一般的に結婚は良いものだと言われ、私も同じように思うけれど、個別に考えれば、すべからく良いものだとは言い切れない。
ものすごく個別性が高い。

あくまでも個人的見解で、思うことを綴りたいと思う。

そもそも結婚しよう!

#1で最初っから離婚を綴ってしまい 、離婚ありきのスタートを切ってしまったが、私は結婚推進派である。

恋愛の最終形が結婚であるし、子供が欲しかったらまず結婚である。子供だけが欲しかったら、まずは結婚して離婚すれば良い。養育費もその他の権利獲得してから。。。(また離婚に舵が切られたが、話を戻す)

恋は美しく、痛く、苦しい。それを乗り越えた二人が、恋愛に陥る。恋愛は、とても心地よい。孤独ではない。困難をともに乗り越えられる。困難を乗り越えることで、さらに二人の関係が強固になる。
一緒に暮らして、生活をしてみる。生活で隠された部分が見えてくる。違和感があっても乗り越えられるのであれば、そこではじめて結婚に至る(と思う)。

結婚は、家と家の結びつきであるから嫁姑(婿舅)も、古くて新しい問題だろう。若い世代を見ていると、本当にめんどくさそうだ。。そうそう、親戚も出てくる。
親戚付き合いは、世界観を広げてくれる。さらには子供をつくる判断をして、つくる(できなければそれはそれで人生の選択をする)。子供を育てる。その子は自分たちを成長させてくれる(親は、子によって初めて存在できる)。先日の朝ドラでは、子どもが10歳なら、親も10歳である、みたいなことをオダギリジョーが言っていて、激しくうなづいた。

結婚というものは「積極的に考えれば」良いことだらけなのである。

結婚してからは

結婚の後は、シングル時代と比較しようもないくらいの人生のプラスマイナスが待っている。独りではできないことが数多く発生する。

些細なことで言えば、二人での生活。
(人生で一番食べてはならない食べ物はウエディングケーキだとか、墓場は結婚式場のとなりにあるとか、笑えない)

シングル時代は、何をしようと自由だ。しかし結婚すると、そこに愛している「他人」がいる。好きだし、愛しているが、やっぱり(私個人的の考え方では)他人だ。

自由に暮らしてはいけない。
自分だけだとおもってはいけない
 他人を意識して暮らす必要がある。

すこしだけ、自分に制限を加えて、相手のために生きるのである。そんな毎日の「足かせ」みたいなものが、自分を成長させる。

相手に供給するばかりでも疲れる。相手とよく話し、相手を敬い、対等に考え、自分の意見もちゃんと伝える。相手に自分をわかってもらう努力をする(話し、伝え、理解してもらう)。そうして、自分の居場所を見つけながら、ある種の制限の下で、自分の居場所を確定させていく(し続ける)。

評価の判断は、あくまでも相手。自分が話した、ということはこの際関係がない。相手がよく理解できたと思ってくれること、そしてその後の行動が自分にとって心地よいことだとしたら、そのとき初めて成功である。

自分の大切にすることは、このように相手に想ってもらい、かつ行動してもらうことなのだ。こうやって、やっと心地よい結婚生活が始まる。
鏡のように、相手がいて初めて自分が見えるのだ。

結婚しない選択肢もアリ

私はリベラルだ(と思っている)。結婚しないでパートナー締結もありだと思っている。でも問題は、この日本が民法における婚姻制度が、すこし硬直的であり、かつ、行政の特に教育や税制に硬直性がある点だ。こういうのが、離婚や再婚のハードルを高くしたり、シングルマザーの困窮問題を助長させている気がする(マイナンバー活用で、養育費を強制的に取り立てられればいいのに。これはまた後日、、)

結婚(パートナーシップ制度等)は、自分を成長させてくれる。世界を拡張させてくれる。させてくれると書いているけれど、否応なしに広がってしまう。

これを成長と判断するか否かは、あなたにかかっている。
賛同いただけるのであれば、結婚をしよう!
(相手を探すことを始めよう)




ヘッド画像は、シリーズを通じて「ぴよさん」のものを使わせていただきまたいと思います。感謝

#ぴよ @piyobloger



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