Twitterで得られなかった満足感を、noteがじんわり埋めてくれている
こんにちは、双水みくにです。
最近はおすすめ記事を読んだり、スキを頂いた方の記事を読んだりと、いい感じでnoteに「つながり」を感じてきている私です。
つながりと言えばSNS、とりわけ文章がメインのTwitterも、同じように私は活用していますが……
みなさんもご存じのように、ここ最近のTwitterはさまざまな改変が起こっています。私はそれをきっかけに、改めてSNSの使い方を考え直していたところでした。
そんな中、私は大発見をしてしまいました。Twitterで得られなかった満足感を、noteがじんわり埋めてくれている可能性に。
その備忘録を、今回は書いてみたいと思います。
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まず、私が考える「文章」としてのTwitterの強み・弱みがこちらです。
私はTwitterを10年以上使っていますが、この弱みの部分にずっと埋められない空虚みたいなものを感じてきました。
「お腹すいた」「ねむい」など、生理現象をわざわざ文字で訴える意味が分からなかったり
短い文章の中に隠れている「意図」を読み違えて口論になったり
人を傷つける言葉を平気で放つ人に、嫌気がさしてしまったり。
(もちろん、そうではない方のツイートも沢山あるので一概には言えませんが……)
やや乱暴な言い方をすればTwitterは落書きのような感じに見えてしまって、呟く人へのリスペクトが個人的にはどうしても生まれにくかった……
だから「つながりたい」という欲求も生まれにくく、私はほぼROM専でTwitterを活用していました。
けれど最近noteに帰ってきてから、Twitterで感じていたその空虚感がじんわり埋められいることに気がついたのです。
投稿する人たちが、ふと思ったことでも熟考しながらまとめてくれている。
自分が伝えたいことを各自のユニークさをもって文字にしてくれている。
否定的な意見も、きちんと理性を持って言葉にしてくれている。
私が「文章」に求める姿勢を、noteで発信するみなさんが体現してくれていたことに改めて気づき、その事実が温かく心に広がっていったのです。
もちろんnoteにも弱みがあり、それはほぼTwitterの正反対と言えるかもしれません。
だからこそTwitterとnoteはお互いのデメリットを補完し合うことができる相性の良いSNSとして、併せて活用すれば最強なのでは?
……そんな風に気づいたここ最近の私は、Twitterでは「今」起きていることをチェックし、noteでは「考察」を取り入れる
そんな感じで心地よくSNSと向き合うことができ、心のバランスが安定した毎日を過ごすことができています。
noteには、まだ私と「つながり」ができてないクリエイターさんも沢山いますが、私はこの世界観を支えてきてくれた全ての人に、心から『ありがとう』とお伝えしたい気持ちでいっぱいです。
そして私自身も、その世界観を支えるクリエイターの1人になれるよう、noteとお付き合いしていきたいと思った今日このごろでした。