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娘が、ファーストシューズを履いたあの日
「子どもが欲しい夫婦は、赤いベビーシューズを購入して玄関に飾ると、子どもを授かることができる」
妊活をスタートして3年が経過した頃、私は藁にもすがる思いでこの「おまじない」にすがることとなる。
もし、あの頃の私が平常心だったなら、「こんな子ども騙しのおまじない、どう考えても効く訳なんてないじゃない」と、思っていたことだろう。
妊活生活が1年、2年と続いていくにつれ、私は次第に「赤ちゃんが欲しい」という思いが強くなっていった。
タイミング法、漢方、よもぎ蒸し、整体、不妊治療(人工授精)などなど、妊活に良いといわれたものは「体外受精」以外はほぼ全てに挑んだのではないかと思う。
体外受精に進めなかったのは、採卵や排卵誘導剤の注射に怖いイメージを抱えていたからだ。
妊活を続けても上手くいかない日々が続いた頃、私は神にすがるようになった。全国各地の子授神社に通い、お守りを購入。購入したお守りの数は、30個を突破。ドラゴンボールなら、6回は願いを叶えてくれそうだ。
神社にお賽銭、お守り購入を続けていく度に、自分は少しずつ「神」の領域に近づいていき、自分の願いも叶うような気持ちが生まれていく。
次第に、願い云々よりも夫婦でお参りすること自体が楽しいと感じるように。
今思う。あの頃夫婦で神社巡りをしていた時期は、いい意味で「辛い妊活時代」から目を背けることもできたという意味でも、2人にとって気分転換になっていた。
ふと、人はこうして神や宗教を信じていくのではないかとすら思うようになった。確かに、神様のために賽銭を投げていく度に、自分の心が清らかになっていくような気がしたのは言うまでもない。
子授け神社へのお参り以外にも、私は「おまじない」にも手を出すようになる。
この頃は、「子どもができるおまじない」をネットで検索しては、さまざまな迷信を試すようになった。「子どもが欲しい」という欲望と願望に支配される度に、私はオカルトの領域へと足を一歩踏み入れることとなった。
ある日、私は「赤いベビーシューズを玄関に飾ると、子どもを授かる」という、世界のおまじないを発見。
紹介ページによると、このおまじないは世界で有名なものらしい。あるヨーロッパの一部地域では、ベビーシューズは幸運を呼ぶお守りとされているのだとか。世界の言い伝えによると、玄関よタタキにベビーシューズを揃えて置いておくと、赤ちゃんを授かれるそう。
でも、いくら世界的に有名とはいえ、このおまじないを私が知ったのはこれが初めて。もしかして、記事上で「世界的に有名なおまじない」と誇張表現しているのではないか……。
でも、有名かどうかなんて。結局、そんなことはどうでも良い。大切なのは、「おまじないが、効くかどうか」だ。
それに、このおまじないなら、誰でも簡単に試せそうと感じる。
おまじないにありがちは「呪文を覚えて30日ずっと唱えろ」とか。「蝋燭に願いを彫って毎日火を灯し続けろ」などなど。試すのが難しいおまじないなら、私はそこで諦めていたことだろう。
このおまじないなら、そうお金も、労力もかからないはず。準備するのも、赤いベビーシューズを購入するだけ。よし!決めた。私は、このおまじないを試すことに決めた。
意を決して、私は夫に「赤いベビーシューズを購入する」ことを提案することとな?。
「ねえねえ。赤いベビーシューズを購入して、玄関に置くと『子どもを授かる』っていう世界のおまじないを見つけたんだけど。面白そうじゃない?
今度、西松屋で一緒にベビーシューズを探しにいかない?」
「……えっ?子どもいないのに、もう買うの?」
この提案を夫にした時、鳩がマメ鉄砲食らったような表情だったことを今でも忘れられない。
夫は「い、いいけど……」と、渋々した表情をしつつも、一緒に西松屋に来てくれた。
人生で初めて「ベビーグッズ」が並ぶ店舗に足を踏み入れた、あの日。店舗内には、赤ちゃん、小さな子どもを連れた夫婦ばかり。
夫婦2人でお店に訪れたのは、おそらく私たちだけの様子。周囲からは、友達の赤ちゃんにお祝いを購入する夫婦にでも見えただろうか。
ベビーシューズのコーナーに到着すると、色とりどりの可愛いデザインをした靴がずらりと並ぶ。
私は、そこで鮮やかな赤色をしたベビーシューズを発見。ベビーシューズには小さな星柄模様が描かれており、パキッとした赤色がとても映えていた。
そのベビーシューズに一目ぼれした私は、すぐさま「これにする!」といって購入を決定。
購入したベビーシューズを、ドキドキしながら玄関に置く私。
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玄関にベビーシューズを置いた瞬間、私の中に「絶対、2人の子どもを迎えて、この靴を履かせてあげたい」という気持ちがより一層強くなった。
ベビーシューズを玄関に置いて、数ヶ月経った頃。友人から「子どもが欲しいなら、体外受精をした方がいいよ。えっ、漢方?よもぎ蒸し?そんなもの、気休めにしかならないから。全部やめて、体外受精一択!」というアドバイスを受け、私はようやく体外受精することを決意。
ベビーシューズを玄関に迎えて、1年後。
既に40歳になっていた私は、ようやく待望の赤ちゃん(=娘)を授かることとなる。
あの時授かった娘は、今2歳9ヶ月。あと数か月で、3歳になる。
子どもを望んでいた頃は、とにかくどんな子でも構わないから、赤ちゃんに会いたくて仕方なかった。もちろん、今でもその気持ちが変わらない。
ただ、人間とは「欲張り」に作られているものでして。子どもがすくすく育っていく一方、まだまだ歩けない娘に対し「早く、歩けるようになって欲しい」と、願うようになる。
もちろん、五体満足で健康なだけでも、十分有難いことには変わりない。
それでも、公園で元気いっぱいに走り回っている子どもや、保育園・幼稚園の見学で自由に歩き回る子ども達を見る度に、「うちの子は、本当に大丈夫なのだろうか……」と心配になってしまうのだ。
娘は立てないだけではなく、靴下、靴を履くのも苦手だ。履かせようものなら、物凄い剣幕で大暴れしながらギャン泣き。
担当医の見解によると、娘はどうやら足裏がやや過敏な傾向があるかもしれない……とのことだった。
靴下すら履けない娘ではあるが、もちろん決して苦手なものばかりではない。どんな人間にも苦手なものもあれば、得意なものだって少なからずあるのだ。
それでも、つい子どもの「得意」より「不得意」に目がいき、つい将来の心配をしがちなのは親心ならではの心理なのだろうか。
我が娘は、小さいなりにも空気を読んで、立ち振る舞いを考えるのが得意。
元気に走り回る子ども達を見て、少し遠慮がちに隅っこで過ごしては、周囲を落ち着いた表情で観察していることもしばしば。
優しい先生にはとことん甘えるし、やや厳しめの先生には警戒しながら様子を伺い、どう立ち振る舞うかを自分なりに考えている様子。
娘は「空気を読む」だけではなく、努力家な一面も。家に帰ると、娘は1人で黙々と立つ練習を始める。何度も倒れては、諦めずに立ち上がり黙々と挑戦する娘。
そこで私が手を貸そうとすれば、サッと振り払う。おそらく娘は、保育園で見る子どもたちのように、自分の力で駆け回りたいと思っているのだろう。
何度も転倒しては、ムクッと立ち上がり、再び挑戦し続ける娘の姿には、いつも勇気をもらっている。
「立つ練習」は自らやるものの、靴下、靴はどんなに目の前に置いても、すぐ振り払ってしまう。私から履かせようとしても、足に履かせた瞬間にギャン泣きが続く日々。
靴と靴下を履く練習だけは、何度やっても上手くいかなかった。その後、病院で歩行練習用の器具(※)も作ってもらったが、こちらも全然履いてもらえない。
(※歩けない子どもは、病院で足のサイズに合わせて「歩く練習」をするための、歩行練習用の器具を作ってもらうことが可能)
「本当に、この子はいつか靴を履いてくれるのだろうか」
そんなことをぼんやり思っていると、ふと玄関に鎮座している「赤いベビーシューズ」が目に入る。
妊娠する1年前に購入したあのベビーシューズを見る度、「きっと、娘はいつか靴を履いてくれるはずだ」と、再び思い直すこととなった。
娘が靴を履いてくれる瞬間は、ある日突然訪れた。その日は、娘の保育園見学に出かけた、ある日のこと。見学会の現場が「砂場」だったため、娘に無理やり靴を履かさざるを得ない状況に……。
娘は半泣きだったものの、砂場に連れていくと周りの雰囲気に流されたのか、大人しくお砂遊びを始めるようになった。
幸い、娘の「空気を読んで、周囲に合わせようとする能力」が、良い形で表に出たのかもしれない。
保育園見学会が終わった後も、娘が靴を嫌がる様子がなく、そのまま靴を履いて家に帰ることに。娘はまだ歩けないので、靴を履いた状態でベビーカーに揺られたまま。
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それでも、第一関門である「靴を履く」を突破したことで、私は達成感で胸がいっぱい。
残念ながら、娘にとってのファーストシューズはあの時購入した「赤い靴」ではなく、夫の友人夫婦からお下がりでもらったニューバランスのベビーシューズだった。
この靴は、夫がいざという時に娘がいつでも履けるようにと、ベビーカーにセッティングしておいてくれたもの。娘の記念すべきファーストシューズになったので、これからも大事に家の中で飾っておきたいところだ。
家に戻ると、玄関で赤いベビーシューズがキラキラと輝いているようにも見えた。
このベビーシューズを購入した頃は、「赤ちゃんが生まれたら、この靴を絶対にファーストシューズにするんだ」と思っていた。
いざとなってみると、どんな靴であろうと娘が嫌がらずに履いてくれるのであれば、親としては嬉しいものだと、つくづく実感。
娘の誕生を祈る靴と、成長の瞬間を実感できた靴。ファーストシューズも、妊娠前に「願い」を込めて購入したあの赤いベビーシューズも。この2つの靴は、どちらも私にとって大切な「宝物」だ。
今後、娘の成長とともに靴、身に纏う服が増える度に、これから先も喜びを感じることができればいいなと思う。