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#82 生きる意味と良心

こんばんは、Mikuです。

今日は、わたしがずっと課題としている平和と原爆の被爆体験継承に関する本を読み切りました。

今回読んだのは、渡辺考さん作『少女たちが見つめた長崎』という本です。ajiroという福岡の小さな本屋さんで表紙とタイトルに惹かれて買いました。(出版元のサイトは↓より)

長崎西高校放送部の生徒たちが、前身でもある長崎高女の生徒で、被爆した女性たちに着目して、取材をしたり、映像作品を紡いでいくお話です。

被爆した人たち、という大きなくくりでしか、被爆者をわたしの中で捉えられていませんでした。でも、この本を通じて、一人一人という次元まで目を向けることができたように思います。

本の中で、印象深かったところを紹介したいと思います。

被爆した人たちが生きる意味

被爆した方は大勢いますし、それで亡くなられた方も少なくありません。それでも、まだご存命の方もいらっしゃいます。その方々は、「被爆した」ということだけでなく、その後遺症や大切な人を亡くすなど、その後にもずっと続く線の上にいて、その苦しみは一生続くのです。その方々の生きる意味を問い続けていく必要があるとわたしも思いました。

原爆の恐ろしさよりも人の恐ろしさ

今でも、「原爆は戦争を集結させるためには仕方がなかった」という考えをお持ちの方や、「原爆を落としてきたアメリカが全て悪い」というような考えの方もいらっしゃいます。誰が悪い、誰が悪くない、そのような視点も必要かもしれません。でも、それ以上に、このような非人道的な核兵器を普通に使うことができる人間の恐ろしさについて問い続けていく必要があるのではないでしょうか。人の良心とは何なのか…、どこまで発動されるものなのか…本当にわからなくなってしまうし、良心を破壊していく戦争もまた恐ろしいものだとも思えてきます。


他にも色々と心に残った場面はあるのですが、特に心に残った二つを取り上げました。

戦争と人の心の問題、そして被曝された方が今生きている意味…一筋縄でいくものではないなと改めて思いました。これからも、もっと知識を深めて、いろんな角度からこれらの問題には切り込んでいきたいと思いました。

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