#14 余白に何を書き込もう?

今日の朝日新聞の折々のことば。
「どれほど書き続けてもまだ余白がある、そんな紙のような心を持ちたいものだと思う。Byドナルド・キーン」

自分の人生を一枚の紙に例えるならば、人生が長ければ長いほどたくさんの書き込みがなされて、自分色に染まっていく。
でも、まだまだ知りたいことが沢山あるし、その知らないものにも惹かれる。わからないことをわからないまま放置せず、そのまま受け入れたい。そしてそれが、こよなく折り目正しく、ひろい気配の源になる。

新聞に書いてることをざっと書きましたが、「あ、これわたしのこと言ってるやん」って正直思いました。
20年間生きてきて、わたしの紙には他の人の紙には書かれていることも、そうでないことも沢山記されていると思います。
でも、そこで満足してはいけないし、するつもりもありません。
だって、まだたった20年間しか生きていないのに、知らないことの方が現状圧倒的に多いし、まだまだ知りたいこと、学びたいこと、経験したいことが無限にあります。

高校生までは、悪い意味でその余白に目を向けることなく、過ごしてきました。でも、大学に入って、多様な経験を積んできた、幅広い年代の人たちに沢山出会う中で、その「余白」に目を向けていくことの大切さを実感しましたし、向ける努力は多少はしました。
そして、その感覚が3年生になった今でもいい意味で忘れることができず、また余白を少しだけ埋めていっています。
わたしの余白はまだまだあります。
この自粛、いや巣篭もり期間で(S崎さんのお言葉を借りました)その余白をまた少しでも埋めつつ、まだ限りなくある余白に何を書き込もうかゆっくり考えたいと思います。

(こんなこと考える大学生世の中そうそういない気がしてるけどまあいいか。)

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