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決めたことをできない自分を責めてしまう時には…

今日は、NVCについて
ちょっぴり詳しくなれる記事


テーマは「ちゃんとできない自分はダメだ…」


私は毎週、日、水、金とメルマガを発刊しているのですが、先日こっそりサボってしまった日がありました。

というのも5月に企画しているイベントで、ページを15ページも作る必要が出てきてしまい…!

めちゃめちゃ追われています。
手首が腱鞘炎です。

ヒーヒー言いながら毎日PCに向かい、メルマガを1日お休みしたというわけです。

という感じで、今日はこの「決めたことをちゃんとやれない自分」について。


私ですね、結構マメで誠実な人なので、「ちゃんとやりたい」人間なのです。

子供の頃なんかは、夏休みの宿題は7月中に全て終えて。
待ち合わせも遅れないし、部屋もいつも綺麗。

大人になってもいつもきっちり。
報連相もしますし、家事や仕事も前倒しで全て終わらせます。


そんな「ちゃんとやりたい」私が、ちゃんとできないと…
数年前までは、本当にしょっちゅうパニックになっていました。

「今日は絶対子どもに大声出さないって決めたのに、出してしまった!」
「朝起きたらすでになんか具合が悪い。もう今日は最悪な日だ…」
「掃除するって決めてたのにできなかった!サボった私は最低だ…」

「できなかった」のは事実ですが、その事実に「それをどう思うか」の評価をつけ、自分責めやパニックを自分で見事に作り出していくのです。


実はこの”評価”を下すのは私たちの「思考」です。

思考とは、「社会的にどうすることが正解か?を導き出す」
それは、問題解決して前に進むため。

ですが本当に前に進むためには、「思考」ではなく「感情」を自覚することが必要なんです。


私たちは子供の頃から、「感情」よりも「思考」を自覚するよう学んできました。

例えば道徳の授業で、先生からこんな質問があったとします。

先生:「世界では飢えに苦しんでいる子たちがいます。これをどう思いますか?」
子ども:「このままでは良くないと思います。」

これは、子どもは「思考」で問いに答えてるんですよね。

でももし「感情」で答えるとしたらこうなります。

子ども:「その事実を聞いて、驚いてます。怖いです。」

でも教育的には、「思考」の答えの方が、前に進みやすいんですよね。

「そうだね。このままでは良くないから、そのためにはどうしたらいいだろう?」って探求できるから。

じゃあ、「思考」→ 社会的にどうすることが正解か?を導き出すものだとしたら、「感情」→ ここに当てはまるものは何かというと…

感情 → ”自分にとって何が大切か?を教えようとするもの”

つまり、こうですね。

思考→ ”社会的にどうすることが正解か?を導き出すもの”
感情 → ”自分にとって何が大切か?を教えようとするもの”

先ほどの先生の問いに対しても思考と感情の2つで見ていくと

思考→ 「飢餓は良くないから変えなくちゃいけない」となるけど、
感情→ 「飢餓に驚いた、怖い。それは、私が安全の保障や平等を大切にしたいと思ってるから。」となるわけです。

そうやって「感情」に気づくと、自分の価値観を自覚し、そのために自分ごととして何かアクションをしたいかどうか?を考えることに繋がります。

”自分にとって大事なこと”がわかっていれば、前に進む原動力になります。

やらなきゃいけない、のではなく、自分の価値観に基づいてやりたいか?がわかるんですよね。


そして私が今回、
「メルマガを書かなかった。決めたことをできない私は努力が足りない!」と”思考”で考えると。

私は今後、完璧を目指し義務としてメルマガを描き続けることになります。

でも「メルマガを書かなかった。時間が取れず残念だ、悔しい。読者さんとのコミュニケーションを大事にしたいのに…」と感情を自覚すれば、私はこれからもやさしい気持ちでメルマガを書きたくなります。


「思考」が癖になっている私たち。

それは決して悪いわけではありません。

だけど、それでもし苦しくなった時には「感情」に意識を向けてみると、「どうすべきか」ではなく「どうしたいか」が見えてくるんじゃないかなあと思います。



<不登校のお子さんの将来が不安なお母さんへ>

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MIKU|大切な人にイライラしてしまうお母さんのための、自分も相手も大切に出来るコミュニケーション
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