ベートーヴェンと父の話
芸術オタク?な父のもとに生まれた私は
幼い頃からラフマニノフとかブラームスとかワーグナーとか
よくわからない音楽家をやたら覚えさせられた。
幼稚園の演奏会で司会?をした時に「チャイコフスキー」という単語を噛まずに言えたので、よくわからなかったが「チャイコフスキーが好きだ」と答えていた。
大学に入ってから、無性にクラシックが聴きたくなった私は、どの音楽家が好きなんだろうと、父が置き去りにしたCDコレクションを聴きあさり心に響いた曲を録音していった。
そこで一番多くリストアップされたのは、
#ベートーヴェン だった。
浮き沈みが激しく、感情的でロマンスに溢れるメロディは、波乱万丈を繰り返してしまう自分と重なって共感したのだろう。
芸術が感じられるということは、
同じような経験をして同じ気分を味わったからだと思う。
悲しい時は短調で嬉しい時は長調を。
「嵐とか大塚愛も良いけど本物を聴け」という父を、当時、大塚愛のさくらんぼが好きだった私は、馬鹿にされているようで憎んでいた。
今は感謝している。
深さの違いなのだろうか、
いや、感性も段階を踏むのだと思う。
大塚愛のさくらんぼは今も好きなんだけど笑
父は子どもの頃の私の絵をずっと待ち受けにしている。
「携帯を変えたら消えてしまったからまた送ってくれ」
昔の絵しか認めてくれない父が理解出来なかったけど、
これも今なら腑に落ちる。
私はその時、義務感で絵を描いていたから。
感性は産まれた時から現存し、感性は育つ、
そして時に感性は鈍る。
だから、
"#本物に触れる" "本物にこだわる" "本物になる"
ということを常に心掛けようと思った。
(本物とは、エネルギー指数が高いことだと今は定義付けている。)
人は皆、親を選んで産まれてくると聞くが、
なんとなく良かったのかな
と感謝した。