Speech Leafー 鈴木アツト作・演出、舞台作品『みえないくに』
本作品からは、「翻訳という仕事を通じて世界と人をつなげること」「世間(ことにSNS)で叩かれていることに抗うこと」「利益追求と意義あるものを生み出すことのジレンマ」「素晴らしい農産物や資源があり、文化と言葉があるのにも関わらず、大国に搾取されている小国」そして「言葉への希望」など、問題意識が目一杯詰め込まれているのが感じられた。
ロシアのウクライナ侵攻が始まった時の、日本での反応もモチーフの一つになっている。私は侵攻の前からロシアのアニメーション作品にとても興味を持つようになっていて、もちろん侵攻とロシアの独裁政権のやり方は許しがたいけれども、文化そのものは全く別物だと思っている。しかしながらそうではない動きもあり、侵攻開始した2022年2月以降、オーケストラの公演予定曲目からチャイコフスキーによる曲が変更になったことにとてもショックを受けた。
複雑な事情を切り落とし、対立が善悪でしか見られないことがとても怖かった。あの偉大なアニメーション作家、ユーリ・ノルシュテインも戦争反対勢力だったと信じている。ロシアを愛し、ロシア語を愛し、文化や生まれた作品たちを愛してきた翻訳者たちの思いはどれほどだっただろう。ロシア語を擁護する人をあしざまにののしる人も、私は確かにみた。小国であっても大国であっても、情報を遮断することで、「見えない国」になってしまう。
それでもこの作品に希望は確かに散りばめられていた。
脚本に文字で表されたセリフが、役者の心からの声となり、音となって観客の耳に入り心に届く。ときにハラハラするようなぶつかりあいには、身を固くする思いだった。上の「いつもと変わらない景色が大事なんだ」は、「侵攻でグラゴニアへの敵対心が広まっているこの時期に、グラ日・日グラ辞典の出版なんてとんでもない」という立場からのセリフだが、たとえ意見は対立しても、誰だってよかれと真剣に思ってのことに違いないのだ。
Speech leaf。これは「言葉」を「言」と「葉」の漢字それぞれに訳をあてたものであって、おそらくは実際にこういう言い回しがあるわけではないのだが、言葉を木の葉に見立てた想像には、私の手元も照らされたような気持ちである。自由にたなびく大小の木の葉あってこそ、大木は豊かに成長するのだと。辞書の出版が中止となった後、編集者の重山は、グラゴニアの単語を覚えるために、日用品や家具に貼っていた単語入りのポストイットをすべて剥がしてしまうが、翻訳者の鴨橋がスーツケースを持って重山を訪ね、消滅したグラゴニアの地に向かうと告げる。
「グラゴニアがあった地で待ってます」
それを聞いて、重山の親友で女子高生の美沙は鴨橋に言う。「鴨橋先生、ポストイットにありったけのグラゴニアの言葉を書いて。この部屋をグラゴニアの言葉でいっぱいにするの」
恥ずかしながらラストのこのセリフ辺りで涙が噴き出し後はもう覚えていない。思えば幕開きで役者たちが話し出したところから、私はすでに泣いていた。これまでの鈴木アツト氏の作品を追ってきて、氏が文字に託す言葉や創作への信頼と希望、それをパフォーマーが理解し解釈し、自分自身の声として命を吹き込む、そんな人達の熱を身体が先に感じていたのかもしれない。文学とも絵画とも美術とも音楽とも異なり、どれとも関係する演劇の世界。その底力にまたしても魅入られているこの頃である。
注 2024/1/23 日本劇団協議会のリンクを追加、および本文に加筆しました。