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技が見せる説得力 内田好美フラメンコソロ公演『孤独生』Vol.3/10〜蒼叫〜

内田氏の10年をかけたプロジェクトの第3回目である。現在進行形の戦争を題材にしたと思われる前作とはがらっと趣向を変え、竜をモチーフにしたファンタジー作品だ。舞台装置は熱帯雨林を思わせる木々と、恐竜のあばら骨を連想させる大道具。竜はこの地で何万年も過ごしてきたのだろう。NHKの「みんなのうた」にあった『サラマンドラ』(※1)や、オールディーズの名曲『Puff, the Magic Dragon』(※2)で歌われるように、竜はひとりぼっちで生きることを強いられる存在として描かれてきた。通底するテーマとして「孤独」があることから、竜を選ぶことは想像に難くない。

本作にこめられたストーリーはシンプルであったと思う。「人とは異なる時間軸を生きるがゆえにそこから逃げることができない竜。苦しくとも生きなければならないのだ。大切なものを守るために。」その流れを構成するのはアレグリアス、タラントからソレア・ポル・ブレリア、ロンデーニャといった伝統的なフラメンコの曲種に加え、バッハのヴァイオリンによる曲(※3)や自作の曲と工夫がなされている。

竜が水遊びをする場面が印象的だった。靴を脱ぎ、柔らかい布をはためかせる。腕で動物の動きを表現する(中国の舞踊家ヤン・リーピンの影響であれば個人的に嬉しい)。白と青の布と衣装は、陽の光と水を表すものだろうか。ここでの竜の孤独はさみしいものでなく、誰にも邪魔されない自由としてのひとりの時間である。バッハによる光のような旋律が美しい。曲が終わり次のシーンに入るとき、母役として幼子を抱き上げようとする歌い手の川島氏に、遊びに誘うように後ろから布を揺らすのも茶目っ気があって可愛らしかった。

演出などに改善の余地はあるにしても、内田氏の舞踊とミュージシャンたちの高い技術に支えられ、全体的に満足いく作品となっていた。1作目からそうだが、彼女の舞踊レベルは日本トップクラスと言っていい。ブレない芯、ピタッと止まって余分な揺れを残さないブラソ(腕の動き)。カンテ(歌)、ギター、カホン、ヴァイオリンなど一流のミュージシャンたちのテンポにサパテアード(靴の踏み鳴らし)が遅れることはない。常々、踊り手はパーカッショニストとしてもプロフェッショナルであるべきだと思っているが、内田氏はきちんと音のかけあいを楽しませてくれた。3年間観てきて、今回は最後の挨拶を含めセリフでの表現は極力抑え、ぎゅっと時間も凝縮したためか、引き締まって濃厚なエッセンスを堪能した満足感のまま、帰途につけたように思う。

私などは、内田氏の舞踊を見ていて、カルメン・アマジャやサラ・バラスといったスーパースターたちを思い出して嬉しくなる。ルーツは異なっても、卓越した技術は人を感動させる。彼女のようにストイックに芸を磨くことこそが、観客そしてフラメンコそのものへの敬意ではないかと思わずにはいられない。よけいな心配かもしれないが、彼女の技術に嫉妬して、正統派でないとか難癖をつける向きもあるかもしれない。最後に、故・濱田滋郎先生による、スペインの至宝のギタリスト、パコ・デ・ルシアについて言及した文章から引用した言葉を彼女に贈りたい。「・・・それは「あくまでも生きた人間そのものを表現する」という、フラメンコの永遠の理想に、パコが忠実であればこそ生まれ出た響きなのである。一方、いつに変らぬフラメンコの温床アンダルシアには、従来の伝統的な響きこそ、やはりフラメンコの魂の音だと信ずる人びとも、たくさん住んでいるに違いない。/それで、いいのである。みんながそれぞれ、自分の信ずる道を、偽りなく歩めばいい。」(※4)

※1 加藤直作詞、高井達雄作曲、 尾藤イサオ歌、1977年。

※2 レニー・リプトン、ピーター・ヤロー作詞・作曲、ピーター・ポール&マリー歌、1963年。

※3 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ パルティータ第3番ホ長調」プレリュードおよびメヌエット第2番。好美さん、ヴァイオリンの森川さん、どうも有難うございました!

※4 濱田滋郎『フラメンコの歴史』晶文社、1983、384頁。


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