ナチュラル。
年少さんで 幼稚園に入園した私。
当時の年少さんは カオスだった…。
幼稚園に入園する前は 毎日 おばあちゃんにくっついて 畑で ひたすら土をいじっていた。
来年から幼稚園ね。と聞かされ いやでいやでしょうがなかった…。
1便さんから3便さんまで 最長時間預かってもらえる謎待遇🥺(母自慢。私涙。)
年少さんで 先生は全く怒らなかった。
にこにこにこにこいつも笑顔だった。
ダウン症の子が 数人いた。
その中でも やんちゃ過ぎる子がいて
毎日毎日 私の長い髪の毛を ひっぱっていた。
私は 嫌で嫌で…。
毎日毎日我慢した。
先生は怒らないから 私が 黙って我慢していた。
母に言うと
ダウン症の子は とっても親から 愛されていて
綺麗で仕事も出来るお母さんが多い。
と謎の答えが返ってきた。しかもとても善良だと。
あ、じゃ やっぱり 私が我慢すれば?な 解釈をする。
女の子の方は 優しかった 年賀状をくれて
母が その病気は命が短いかもしれないなんていうから
大切にしていた。
男の子の方は毎日続くもんだから
行きたくなくて 母の腕を 思いっきり噛んだ時があった。
タイミング悪く
目の前に 怖い怖い ペルムイ先生がみていた(スペイン人の園長先生)
ペルムイ先生は いいの置いて仕事へ行きなさいっ!って 母に言った。(今思えば 微笑んでいたのかもしれないけど…。)
特に ペルムイ先生の私へのフォローもなく
あ、やっぱり大人って…。と思った 幼稚園時代。
私の全力の反抗は あっさりと終わった。
母は よく笑い話でつかうから 大人からは 大した事ではなかったのだ。
私は 幼稚園時代 笑わない しゃべらない を貫いた。写真は 睨みつけたような表情の私ばかり。
自分の意志は 通らないからって顔。
モンテッソーリの時間だけは 最高で
ひたすら無言で豆を箸で移動していた。
小学生時代も 少し 発達に問題?(今だけそう書かして欲しい。)のある女の子がいて
その子は ゆっかりちゃーん って 私を好いていてくれた。
頭がとてもよかった。
もうひとりの男の子は 毎日お母さんがついて歩いていた。
おきざきまどかちゃんが 好き過ぎて 毎日呼んでいた🕊️
子供ながらに 心の美しさ透明感は
私達なんかよりすごいとわかった。そして賢い。
そこで 母の そういう子は とっても愛されている。
を思い出す。
母親は あんなに私は尽くせないから 普通の子が産まれたの。と言っていたような気もする…。
ま、普通とか 発達に問題?とか述べたけど
発達の問題ではなく 限りなくナチュラルなのだ。
だから もう ナチュラルと表現する。
養護施設が近くにあったり 聾学校と交流があったりで
幼いながらに 将来 私は そのような子を産むんだろうと思っていたのを最近思い出した。
で、数年後 長男は 私に似ていた。
外でおとなしい 大人に人気 家ではひょうきん。
妙に大人びた子供。
あんなに嫌だった 年少さんに 流れるように行かせてしまった。
バスに乗った我が子の不安な表情に 泣き崩れた初日。
幼稚園の英語のクラスに入園前行き
あ~めちゃくちゃ自由な子いるわ…と思った男の子に
案の定 毎日 やられた息子。
息子が一度だけ 本気で幼稚園を拒否した事があった。
私は どうしてもひとりになりたくて
無理やり引っ張って行こうとして
それを主人が なだめてくれた。
確か 困るっ!私だって 絶対今日 ひとりになりたいっ!って叫んで 引っ張ってしまった。
結局 主人は 連れて行ってくれた。
あんなに嫌で嫌だった事を 息子にした
しかも 母とは 違い
ひとりになりたいっ!とまで付け加えて。
傷付いただろうな…。
それ以来 体調が悪くなければ 行くようになった。
数年後 聞いた時 やっぱり幼稚園時代は 嫌だった。と教えてくれた。
そして 今!
次男は 私の想像の遥か上の子で
私では 手に負えない為 主人が のびのびと 育ててくれている。
幼稚園も保育園もまだ 行っていない。
発達障害じゃないかと 区の健康診断でも言われたけど
やっぱり障害じゃなく
ナチュラルだ。
彼に近づけば 自分に足りないものを思い出させてくれる。
マンションのオーナーのおじいさんが
この子は頭がいいって何度も言っていた。
主人も 長男の学校で支援学級にいる女の子の
心の綺麗さに 触れていたので 益々そう感じるのかもしれない。
地球が よりナチュラルな状態に戻る為に
これから たくさん 産まれてくると思う。楽しみだ。