チャールズ・スポルジョン『朝ごとに』2024年4月10日

[32] ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。
[33] 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
[34] 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
[35] 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
[36] 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、
[37] 言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
[38] イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。

"The place which is called Calvary."Luke 23:33
「"されこうべ"と呼ばれている場所」(ルカ23:33)

The hill of comfort is the hill of Calvary;
the house of consolation is built with the wood of the cross;
the temple of heavenly blessing is founded upon the riven rock—riven by the spear which pierced his side.
私たちの安らぎの丘はカルバリの丘である;
私たちの慰めの家は十字架の木で建てられる;
天の祝福の神殿は、彼の脇腹を貫いた槍によって打ち砕かれた岩の上に建てられている。

No scene in sacred history ever gladdens the soul like Calvary's tragedy.
聖なる歴史の中で、カルバリの悲劇ほど魂を喜ばせる場面はない。

"Is it not strange, the darkest hour that ever dawned on sinful earth,
Should touch the heart with softer power, for comfort, than an angel's mirth?
That to the Cross the mourner's eye should turn, sooner than where the stars of Bethlehem burn?"

Light springs from the midday-midnight of Golgotha, and every herb of the field blooms sweetly beneath the shadow of the once accursed tree.
ゴルゴダの真昼から真夜中にかけて光が湧き、野のあらゆる草が、かつて呪われた木の影の下で甘美な花を咲かせる。

In that place of thirst, grace hath dug a fountain which ever gusheth with waters pure as crystal, each drop capable of alleviating the woes of mankind.
その渇きの場所に、神の恵みは泉を掘った。
そこから水晶のように純粋な水が絶えず湧き出で、その一滴一滴は人類の苦しみを和らげることができる。

You who have had your seasons of conflict, will confess that it was not at Olivet that you ever found comfort, not on the hill of Sinai, nor on Tabor;
but Gethsemane, Gabbatha, and Golgotha have been a means of comfort to you.
苦難の時を経験したあなたは、オリーブ山でも、シナイ山でも、タボル山でも、慰めを見いだせなかったと告白するだろう。
しかしゲッセマネ、ガバタ、そしてゴルゴタは、あなたにとって慰めの縁となるのだ。

The bitter herbs of Gethsemane have often taken away the bitters of your life; 
the scourge of Gabbatha has often scourged away your cares, and the groans of Calvary have put all other groans to flight.
ゲツセマネの苦い薬草は、度々あなたの人生の苦いものを取り除いてきた。
ガバタの災難は度々あなたの心配事を吹き飛ばしてきた。
そしてカルバリの呻き声は、他の全ての呻き声を吹き飛ばした。

Thus Calvary yields us comfort rare and rich.
こうしてカルバリは、私たちに稀有で豊かな慰めを与えてくれる。

We never should have known Christ's love in all its heights and depths if he had not died;
nor could we guess the Father's deep affection if he had not given his Son to die.
もしキリストが死ななければ、私たちはキリストの愛をその高みと深みにおいて知り尽くすことは出来なかったに違いない。
また、御父が御子を死に渡さなければ、御父の深い愛情を推し量ることもできなかった。

The common mercies we enjoy all sing of love, just as the sea-shell, when we put it to our ears, whispers of the deep sea whence it came;
but if we desire to hear the ocean itself, we must not look at every-day blessings, but at the transactions of the crucifixion.
私たちが享受する日々の慈しみは、すべて愛を歌っている−
ちょうど貝殻を耳に当てると、それがやって来た深海の囁きが聞こえるように;
しかし、もし私たちが海そのものの声を聞きたいと望むなら、日々の恵みに目を向けるのではなく、「キリストの十字架」という出来事を見なければならない。

He who would know love, let him retire to Calvary and see the Man of sorrows die.
神の愛を知ろうとする者は、カルバリに立ち戻り、悲しみの人が死ぬのを見よ。




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