チャールズ・スポルジョン『朝ごとに』2024年2月5日


13神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。
14わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。
15イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。

「‭‭ヨハネの手紙一‬ 」4‬:章13‬-‭15‬節

"The Father sent the Son to be the Saviour of the world."
1 John 4:14
「御父は世の救い主とするために御子を遣わされた。」
(ヨハネの手紙第一4:14)


It is a sweet thought that Jesus Christ did not come forth without his Father's permission, authority, consent, and assistance.
「イエス・キリストは御父の許可、権威、同意、援助なしには現れなかった」
この御言葉は私たちにとって甘美な思いをもたらす。

He was sent of the Father, that he might be the Saviour of men.
彼は人々の救い主となるために父から遣わされたのであった。

We are too apt to forget that, while there are distinctions as to the persons in the Trinity, there are no distinctions of honour.
私たちは、「三位一体の人格には区別がある」が「その権威や栄誉には優劣がないこと」を、忘れがちである。

We too frequently ascribe the honour of our salvation, or at least the depths of its benevolence, more to Jesus Christ than we do the Father.
私たちは自分の救いについての感謝を、あるいは少なくとも「慈しみ深さ」という徳への賛美を、御父よりもイエス・キリストに帰することがしばしばある。

This is a very great mistake.
これは非常に大きな間違いである。

What if Jesus came?
Did not his Father send him?
もしイエスが私たちのもとに来られたのなら、
それは彼の父が彼を遣わしたのではないか?

If he spake wondrously, did not his Father pour grace into his lips, that he might be an able minister of the new covenant?
もし彼が驚くべき言葉を語ったのなら、それは彼の父が、イエスが新しい契約の有能な奉仕者となるように、彼の唇に恵みを注いだからではないか?

He who knoweth the Father, and the Son, and the Holy Ghost as he should know them, never setteth one before another in his love;
he sees them at Bethlehem, at Gethsemane, and on Calvary, all equally engaged in the work of salvation.
父と子と聖霊をあるがままに正しく知っている人は、その愛において、その内の一人を他の者よりも優先させることはない。
彼は、ベツレヘム、ゲツセマネ、カルバリで彼らが皆等しく救いの業に従事してきたことを知っているのだ。

O Christian, hast thou put thy confidence in the Man Christ Jesus?
Hast thou placed thy reliance solely on him?
And art thou united with him?
おおクリスチャンよ、
あなたはキリスト・イエスという方を信頼しているだろうか?
あなたは彼のみを頼りとしているだろうか?
そして、あなたは彼と結ばれているだろうか?

Then believe that thou art united unto the God of heaven.
それでは、あなたは天の(父なる)神とも一体であると信じなさい。

Since to the Man Christ Jesus thou art brother, and holdest closest fellowship, thou art linked thereby with God the Eternal, and "the Ancient of days" is thy Father and thy friend.
キリスト・イエスにとってあなたは兄弟であり、最も親密な交わりを保っているのだから、それによってあなたは永遠なる神と結びついており、「日の老いたる者」(ダニエル9章)はあなたの父であり、あなたの友人なのだ。

Didst thou ever consider the depth of love in the heart of Jehovah, when God the Father equipped his Son for the great enterprise of mercy?
If not, be this thy day's meditation.
あなたは考えたことがあるだろうか−父なる神が御子に慈悲の大事業を備えさせた時の、万軍の主の心にある愛の深さを。もし無いなら、
今この時こそ瞑想の時だ。

The Father sent him!
Contemplate that subject.
「御父が彼を遣わした!」
この主題について熟考しなさい。

Think how Jesus works what the Father wills.
In the wounds of the dying Saviour see the love of the great I AM.
イエスが御父の御心に従ってどのように働かれるかを考えなさい。
瀕死の救い主の傷の中に、かの偉大な「私はある」という方の愛を見るのだ。

Let every thought of Jesus be also connected with the Eternal, ever-blessed God,
for "It pleased the Lord to bruise him; he hath put him to grief."
イエスについてのあらゆる思いを、永遠なる神、永遠に祝福される神と結びつけるようにしなさい。
「彼が打ちのめされ、悲嘆に沈むことを、神は望まれた(イザヤ53:10)」のだから。





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