日本キリスト改革派岡山教会 2024年8月4日礼拝説教(ヨハネによる福音書 10章1〜6節)
【8月4日朝の説教】
◎聖 書:ヨハネによる福音書 10章1〜6節
◎説教題:「羊はその声を聞き分ける」
〜聖書を通して語られる神のみ声を〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師
【メモ】
◎「私は良い羊飼い」「私は羊の門」
羊…「自分を守る力を持たない者」「羊飼いなしでは彷徨う者」
「羊」と「羊飼い」は、神と人のメタファーとしてユダヤ人には馴染み深い。
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なぜイエスはその譬えを用いたのか?
◎背景(9章)…「盲人を癒すイエス」「イエスのメシア・神の子として働きを認めないファリサイ派」「イエスをメシアと告白する盲人」
ファリサイ派「安息日に働いたイエスは罪人だ!メシアであるはずがない!」
⇄盲人「イエスはメシアです。罪人に私の目を癒すことは出来ません」
→イエス「私が来たことで、見えない者が見えるようになり、見える者が見えなくなった」
◎イエスが「羊」について話し始めた時、聴衆はすぐに「おっ、羊飼い(神様)の話を始めるんやな」と分かった。
◎「羊の囲い」…日中は広い草原で放し飼いにされるが、夜は囲いの中で門番に守られながら休む。
一つの囲いの中に複数の家の羊が寝ているが、朝になるとそれぞれの家の羊飼いが来て羊の名を呼ぶ。
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羊は自分の所属する羊飼いの声にだけ反応する。
◎ファリサイ派「うんうん、せやな。…ほんで?」
話の意味は分かる。でも自分にとってどんな意味があるのか、自分がそれをどう受け止めたら良いのか分からない。
◎しかし、聖書(律法)に関して落第生だったあの盲人には分かったはず。
「ああ、羊飼いは来てくださった!私は羊飼いの声を聞くことが出来た!」
◎このお話の舞台…9:34「彼を“外”に追い出した。」
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「羊が放牧されている土地」と考えると、エルサレムの城内ではない。
この盲人は「イエスはメシア」と告白したので、故郷からも家族からも離れた荒野に追放された。
その盲人の許をイエスは訪ねた。
◎「聖書が分かる」…ファリサイ派の様に「彼は呪われる」という呪いの言葉として聞くのではない。
御言葉を「私に向けられた羊飼いの声、祝福の声」として聞く。
◎主は神殿から野を越え山を越えて盲人の許に来られ、御自身を啓示され、信じる者を祝福された。
主は今日も「死の陰の谷(詩編23)」に居る私の許まで来られる。
自分の罪に絶望する時も、この主の桁外れの愛を低く見積もってはならない。
御言葉が理解出来ない時も、羊飼いの声を聞くことを諦めてはならない。
◎「わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。」(詩編121:2)
【次主日(8月11日)の朝礼拝】
◎聖 書:ヨハネによる福音書 10章7〜21節
◎説教題:「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」
〜十字架の主に教会は導かれる〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師
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